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「文法の教え方」の教え方(3)

来年度も頑張ります(今年度は仕事納めました)。今日もいくつか例を見ながら考えてみたいと思います。

​「ビールは冷蔵庫に冷やしてあります」

「~てある」はよくこういう場面設定で、準備の意味として使われることが多いですよね。私の知る限り、みん日でも、まるごとでもそうだったと思います。(私は大変地味な生活をしているので、パーティーの準備なぞ100年に1回しかしません。)しかし、前回に記事に書いた中俣(2014)によると、「AはBと書いてある」、もしくは「~てある」+名詞の形、つまり存在描写として使われることが多いと述べています。つまり、初級で扱われる文型=その文型の最もよく使われる意味を表しているわけではないということです。

なぜ乖離が生じるのか?―教授法との関係から

このような乖離は、教授法との関わりが大きいと言えるでしょう。主な2点を次に指摘しておきます。
1つ目は、教授法ということでいうと、みんなの日本語はオーディオリンガルアプローチに基づいた教科書ですから、代入練習をするために、多くの語彙を扱う必要があります。
2つ目には、シラバスの問題もあります。みんなの日本語は基本的に構造シラバスの教科書です。しかし、より実際のコミュニケーションに役立つように(?)、ある特定の場面を想定した会話文を出しています。逆にいうと、その文型を使うための場面を設定しなければならないため、文型に場面がぶら下がって提示がされています。

ただ、以上の点を踏まえずに、みんなの日本語は時代遅れだとか話せるようにならないという批判を、養成講座の受講生の方がご覧になることもあるでしょうから、予防線は張っておく必要があると言えそうです。

楽だけど、ツライ、みんなの日本語

このような前提に基づいた教科書では、学習が学びの実感を持つ(=いつどこでどう使うか分かる)ことがそれぞれの授業では難しいです。ですから、私は日本語学校で教えていた時、こ漠然とした不安を抱えたまま、毎週が過ぎていったことを覚えています。

そして、たどり着いた結論。

私、日本語学校に向いてない!

そういうわけで、1年で日本語学校は辞めてしまいましたとさ。

次はどんな風に授業をすればいいか模索したお話。

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