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生か、加工済みか。

ハムの話ではありません。
リーディングの話です。
養成講座では教授法の話もありますが、リーディングって実際どうなっているのかなあとふと思いました。

私は日本語教育の異端なので、もしかすると一般的ではないのかも。そして、一般的でないことを教えたかもしれないと。

読解は生教材を読めるのが目標?

 読解指導といえば、これまで養成講座で読解指導について扱っていても、生活に必要な読み、興味関心を持てる読みについてが中心ではないでしょうか。
 私は教えている中等教育機関の学習者のレベルはいわゆる初中級〜中級ですが、組織の都合で上級も初級もみんな一緒に学んでいます。そして、身に付けなければならない能力は、学校で教科学習をするのに必要な読解力(academic reading)です。これは、私の考えでは情報探索と情報統合の2点のスキルが中心になると考えています。
 しかしながら、養成講座や日本語教科書で扱われるのは郵便受けに入ってたなんだか分からない手紙や、パンフレットから自分の求めてるものが探す、と言ったものが中心でかなり隔たりがあります。
 つまり、生教材を読めるのが目標とは言え、目標とする生教材が何かはかなり個人差や学習環境の差があるということです。

Academic Readingは何をどこまで?

 しかし、教科学習に必要な読解力(academic reading) を育成する方法はそれほど明確になっているとは言えない現状があります。もう少し踏み込んでいえば、academic writing の方が進んでいて、そのプロセスにreadingが組み込まれています。ただ、この際気をつけなければいけないのは、AWの研究・実践が大学生などが対象になっていて、readingが一定程度できる前提に成り立っているということです。
私のように中等教育レベルでは、readingをwritingのプロセスに位置付けつつも、それぞれの能力を伸ばしていく必要があるという点について、指導法はあまり研究が進んでいません(やれよ)。

このような現状になるのは、
・教科書を読むためのスキルとはそもそも何か?
 例)情報探索・統合理解・節修飾の理解・未知語の推測・論理構成の把握など
・それは教授可能なものなのか、可能ならその方法?
・いわゆるリライトした文・調整された文の読みで教科書の文章が読めるようになるのか? 
など、さまざまな疑問を飲み込んでやっていく必要があるからです。そのため、教材の選定から活動の設計が困難になっています。

生教材の難しさ

これまで見て来た中では、情報探索と統合理解のスキルが必要で、その部分はこれまでの実践でも行われてきているが、語彙の難易度が高いためスキルだけでは理解できないということがあるということも掴んできています。

このような観点から教材を考えると、やはり「学習内容」を優先させて「教材」をそれに合わせる必要が出てきます。その際、新聞のように情報伝達性を高めるため、一般的な論理構成とは異なるものになっているため、理解が困難になりますし、指導の際も特別な配慮が必要になります。新書やウェブサイトは著作権の問題や、学習内容との不一致があるためどうしても修正が必要になります。そういうわけで、私は基本的に加工した教材のみを使用するようにしています。

まとめ

読解というと、重要なのは生教材vs既存の教材ではなく、常にどんな教材を使って何を学ぶのかを検討するということです。そのような観点を読解だけでなく他の技能の育成の際にも伝えていきたいと思います。

さて、academic readingの能力を必要としている学習者はそれまで多くないのでしょうか?少なくとも日本の学校に通う外国にルーツを持つ子どもたちや大学・専門学校への進学を検討している学習者にとっては必要な能力です。

であれば、比較的多くの学習者へ必要な能力です。子どもだから、日本語を学んで間もないから、などという色眼鏡で見るのではなく、その現実の言語生活に照らして、何が必要かを見極めることが重要ですよね!

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