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第26話:イギリスは外交巧者??

 今日はスエズ運河のお話です。 3年前、座礁騒ぎがあったあのスエズ運河です。

スエズ運河(Wikipediaより引用)

 上記の地図の位置にスエズ運河はあるのですが、この「紅海と地中海を水路でつなぐ」発想自体は古代エジプト時代からありました。 当時の運河は紅海から内地の湖を通ってナイル川につなぐというものでしたが、人が考えることは大体同じになるもので、それは今も昔も関係ありません。 実は今のスエズ運河「ナポレオン」が構想し、「フランス」が作ったものなんです。知っていました?

 さてナポレオン、フランス史の中で最も輝かしい軍人といいナポレオン。まずは彼が「戦争の天才」と言われる戦いを振り返ってみましょう。時は1805年、フランス帝国は、 当時列強であった「オーストリア帝国」と「ロシア帝国」を敵回し戦争をしていました。そう、これが世にも有名な「アウステルリッツ三帝戦」です。

アウステルリッツの戦いのナポレオン(wikipediaより引用)

 これだけ聞くとフランス帝国が不利なように見えますが、フランス帝国軍73000人、オーストリア帝国、ロシア帝国の連合軍は84500人と戦力的には拮抗していました。結果としてフランスが、ナポレオンがこの戦争に勝つんですが、その勝ちっぷりがすごかったんですよ。一番わかりやすいのが戦死者数。フランスの戦死者は1305人、オーストリアとロシアは15000 人。このすごさわかります? First-person shooterFPSが好きな人ならわかると思いますが、フランスのキルレシオは11 倍近いんですよね。ほんと、ナポレオンはすごいのです。

 さて、そんな天才ナポレオン、エジプトにも侵攻しています。そう 歴史上で有名な「ロゼッタストーン」を発見したのもこの時です。でもナポレオンの偉業はこれだけではありません。実はナポレオン、この時地形調査も進めていて、その調査の後、「スエズ運河」の軍事的・経済的重要性だけではなく、その実現性に気が付くのです。そう、ここから「スエズ運河」のプロジェクトがスタートしたのです。

 そしてしばらく後、似たようなことを考えたのが近代史史上最も卑劣な国家の1つ「イギリス」。当然、イギリスも「スエズ運河」を造ろうと考えたのですが、2つの点で建設計画をあきらめざるえませんでした。

① ナポレオン時代から調査をしていたフランスが、スエズ運河に流用できる古代エジプトの運河の位置に目星をつけており、重要な土地のほとんどをフランスが抑えていたこと

② 紅海と地中海で水面の高さが違うことから、閘門こうもんを作る必要があって、その対費用効果が見込めるか怪しかったこと。ちなみに閘門こうもんとは、運河の内外で水位差がある場合水位調整に使う池みたいなもののことです。下に閘門こうもんの原理をおいておきますね!

閘門こうもんの原理(wikipediaより引用)

 さて皆さん、これでイギリスが「スエズ運河」をあきらめたと思います? そんなわけないじゃないですか? イギリスは「近代史史上、最も卑劣な国家の1つ」ですよ? 同盟関係にあるにもかかわらず、日露戦争時に日本に10 年で2倍払いという金利でお金を貸した「とても優しい」国家ですよ? あ、ちなみにアメリカの銀行家ジェイコブ・ヘンリー・シフ(勲一等旭日大綬章受賞)は、市場よりも安い金利で日本にお金を貸しています。そしてこの交渉をしたのが、226事件で暗殺された後の高橋是清です。日本の伝説的な大蔵大臣として有名な方ですから、皆様知ってますよね? というわけで、そんなイギリスの吐き気をもよおす外交巧者ぶりが今回のお話のテーマになるのですw

 時は1858 年、エジプトの詳細な調査が行われ「地中海と紅海に水面差はない」ことがわかると、フランスによる運河の建設計画がスタートします。ちなみに当時の検証では、馬車輸送の半分の時間で輸送できることがわかっており、この計画はがぜん上がりました。ちなみに、スエズ運河。馬車の数十倍、数百倍の大量の荷物を船で送れるだけではなく、馬車の通行時間の半分で紅海から地中海に出られるというものだったのです。経済的恩恵は計り知れないでしょうね?

 またこの時代、飛行機がまだありませんでした。ちなみにライト兄弟が飛行機を発明するのは1903年です。だから、当時のアジアと欧州を結ぶ貿易路は、喜望峰を回る時間のかかる海路か、最短距離を結ぶ陸路しかありませんでした。だから、時間を優先する場合、陸路を使わざる得なく、そして、その陸路はオスマントルコ帝国に権益をおさえられていたのです。だから、オスマントルコ帝国に関税を払わずに、大量の荷物を陸路の半分の時間で運べる「スエズ運河」がどれだけ魅力的だったか想像がつきますよね?

 さてフランスさん。長年温めてきた「スエズ運河建設」をオーストリアと組んで工事を開始します。 当然裏切られないように共同で資本を出し合い、スエズ運河株式会社を設立する形を取ります。そして「スエズ運河」の工事は、常時3 万人もの人が工事に携わり、 完成までに150 万人ほどが働いたとされる大事業でした。ちなみにエジプトでは、ピラミッド建築以来の大事業と当時呼ばれていたそうです。

 しかしピラミッドとスエズ運河の工事では、大きく違う点がありまし
た。それは労働者の待遇です。実はピラミッド、一昔前まで「ピラミッド工事の現場は奴隷が働かされていた」という説が主流でしたが、最近の研究では「用事があれば休むことができ、報酬としてビールも振る舞われた。そもそも農閑期に行われる公共事業の一つだった」という説が有力になってきています。そう考えると古代エジプトは、労働者に対して優しい「超ホワイト国家」だったんですね。ま、それはおいといて、今回のスエズ運河の工事は超絶「ブラック」でしたw 10年ほどの工期中に数千人の労働者が命を落とし、「長時間労働」は当たり前の労働環境だったのです。

 そこに目を付けたのが「卑劣漢イギリス」です。 イギリスはもともとインドを抑え、香辛料や茶の交易の多くを握っていたので、 フランスにスエズ運河を造られ、交易による利益を奪われてはマズイと思い「得意の外交」でフランスにケチをつけ始めたのです。

 具体的に何をしたかというと、「労働者が奴隷扱いされているじゃないか、けしからん!!」と正義の味方を気取り、スエズ近辺へ軍事的に介入。そう「軍事介入」ですよ? 信じられます? そして労働者の反感を煽り反乱を起こさせて、スエズ運河の建設を邪魔し始めたんですよ。当時イギリス本国では「児童労働」や「常識を逸脱した薄給」、「1 日16 時間を超える長期労働」などの労働問題が蔓延していたにもかかわらず、この2枚舌です。エルサレムの件といいほんとクズ国家ですよねw

 ということでこうなるとどうなるか? 当然スエズ運河の建設費は大幅に増加、その建築コストが業績に影響を与え始めたスエズ運河会社の株は大暴落。 そして大株主たる「フランス」財政は恐ろしいほどの「負債」を抱える事になるのです。

 そして時は1868 年(明治2 年)、スエズ運河は完成します。 イギリスさまのありがたい「労働者目線」の建設工事のおかげで、建設費は2 倍以上に膨れ上がってしましたが、フランスは最後までやり遂げたのです。 フランス第二帝政の、ナポレオン3 世の「大いなる業績」と言っていいでしょう。


ナポレオン三世(wikipediaより引用)

 もちろん、この歴史的な開通にともない行われた開通式は大いに盛り上がりました。 フランス皇后ウジェニーも船で来賓し、オーストリア皇帝など
も臨席して、大変華やかなものになったそうです。

 そして運よく同年に「アメリカ大陸横断鉄道」も開通し、スエズ運河と合わせて地球上の移動距離を大きく縮めることが可能となり、 スエズ運河は当初の予想よりも大きな利益を上げ、大成功を収めました。

アメリカ大陸横断鉄道(wikipediaより引用)

 しかしイギリスのおかげで膨大に膨れ上がった建設費は、並大抵のものではありませんでした。そのためフランスは、自国が保有するスエズ運河会社の株式を売らざる得なくなったのです。 そしてその株式を「イギリス」は安く買いたたいたのです。そしてそればかりか、「スエズ運河」建設費用で財政破綻した「エジプト」の所有株も奪い取り、 それを口実にイギリスはエジプトに軍事介入、1956 年の「スエズ危機」までスエズ運河の権益の多くを「労せずして」手中にしたのです。 これが「紳士の国」イギリスのやり方なのです。外交力なのです。

 というわけで近代史を学ぶとわかりますが、ジブラルタルといいスエズ運河といいエルサレムといい「イギリス」は本当に紳士的な国です。 今「中東で起こっている政情不安」の大半は「イギリス」さんのイタズラが火種なんですが、それを丁寧に調べていくと面白いですよ!

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