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夏を諦めて|残暑/01 #4|安達眞弓

安達眞弓(Mayumi ADACHI)
英語・フランス語圏の小説、80~90年代のドラマと音楽、映画に溺れて育つ。いくつになっても隙あらば歌う出版翻訳者。訳書に『この、あざやかな闇』『僕は僕のままで』、『どんなわたしも愛してる』、『死んだレモン』、『悪い夢さえ見なければ』、『ペインスケール』、『ジミ・ヘンドリクスかく語りき』他、多数。
■ Xnote



いつまでも暑い。

翻訳の興が乗ると、つい寝食を忘れてしまうことがある。夏場にこのゾーンに入ってしまうと、かなりの確率で脱水を起こす。まあでも、スポドリを飲んで横になっているとおさまる程度のことだ。仕事を終えて帰るメッセージを送ってきた夫に「脱水起こしたから寝てた」と返事をすると「スポドリ買ってこようか?」と、必ず書いてくる。飲んだからいいと答えても、500mlのペットボトルを持って帰ってくる。そういう人だった。

今年、私はスポドリ救援隊のいない、はじめての夏を迎えた。

この夏はいつになく外に出る機会が多く、とにかく汗をかいた。都心に出て、人と人との間をすり抜けるようにして歩いていて、ふと周囲を見まわすと、みんな疲れた顔をしている。ただでさえ忙しく、おまけに最高気温は連日30℃超え。9月ともなると誰もが暑さとの闘いに消耗し、もう降参だと言わんばかりの表情を浮かべている。子どもたちも声を上げて笑ったり、はしゃいだりしていない。もうゾンビと言われても反論できないぐらい、くたくたである。

令和6年の夏は、それだけ暑かった。

冬の寒さはダウナーなつらさで、お布団にこもってSNSをながめたり、落ちゲー、積みゲーをやったりして思考停止する。いっぽう夏のつらさはアッパー。暑さに対して無性に腹が立つ――と、自分のnoteに書いていた。書いたのは7月。アダチよ、まだ疲れてなかったんだな、怒る元気があったんだなと、自分のイキりっぷりについ笑ってしまった。夏もやっぱりベッドに倒れ込み、クーラー効かせ、落ちゲー、積みゲーやってたじゃないか。

なので、今年の私は夏を諦めることにした。

仏教学者の一郷正道氏によると、漢字の〈諦〉は、第一義の「断念する」のほかに、仏教の界隈では「つまびらかに見る、聞く」、「明らかにする」という意味があるという。梵語のsatya(サトヤ)の訳語だそうだ。どうにもならないことに直面したら、人はその理由を明らかにし、納得して断念する。「諦める」前にワンステップある、という考え方だ。

というわけで、このクレイジーな夏の暑さと向き合い、自分ではどうしようもできない自然の営みを受け止め、納得し、諦めて夏を受け入れることにした(すんげぇ難しいけど)。梅雨明けから今日までの夏を振り返り、よく頑張ったねと自分をねぎらい、さっきすれ違った、疲れ果て、表情を失った人たちに思いを馳せ、あと少しで秋が来るよと心の中でエールを送る。ちょっとぐらい汗が臭ったっていいじゃないか。みんなこんな暑さの中、頑張ってきたんだ。

今日も飽きずに、暑い、暑いとグチってはいるが、朝晩は少しだけ(少しだけ)過ごしやすくなった。見上げれば空はいっぱしの秋の面構えだ。汗をかかずに歩ける季節が待ち遠しい。ただいま冷房が効いた部屋でゲラ校正に追われているが、暑さがひと段落したら外での活動を再開するつもりだ。

待ってろ、秋。

文:安達眞弓


>> 次回「残暑/01 #5」公開は9月20日(金)。執筆者は栗下直也さん

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