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I was born to ~.

昔大学の授業で教授に聞かれた「人はなぜ生きるのか?」という問いが忘れられない。
当時「死ぬため」と答えた自分の擦れ具合というか、型にはまり具合が恥ずかしいが、先生、その問いは当時の私には難しすぎました、あまりにも未熟だったので。遅くなりましたが、10年弱越しの私の答えを残しておきたいと思います。

I was born to learn.

私は性悪説を信じている。私がここで定義する「悪」とは、「無知であること」だ。人は生まれながらにして無知で、知識(情報)がなければ間違いを犯すと思っている。何も知らなければ、性差別丸出しの企業商品を愛用し続けて差別に加担してしまうかもしれないし、明らかに人種差別発言をしている政治家に投票してしまうかもしれない。(今の日本では思わず英語でcurseしたくなるような腐敗した政治ばかりが繰り広げられているが、これは私たちが無知ゆえにそういう政治家を選んできた結果でもある。)
ということで、人生的にも社会的にも少しでも「正しい」選択をするためには「学ぶ」ほかないのだと思う。それは、自分で情報を取りに行くことであり、自分にリテラシーをつけることであり、スキルを磨くことである。

I was born to create.

学ぶこととつながる気がするが、私にとって幸せを感じる瞬間は何かを創造しているときだ。創造といってもそんなに大それたものではなくて、例えば旅行のアルバムを作ること、ウクレレで適当な歌を作ること、仕事で商品(教材)のゼロイチを経験できること。自分の分身のようなものだと思う。自分の価値観を反映したものが、形を得て自分の体を離れる瞬間に快感を感じるのは「自分の存在が世に残る(かもしれない)」という本能的な喜びだと思う。

I was born to love (you).

フレディ・マーキュリーに賛成したい。Loveといってもロマンスの意味だけではなくて、一緒にごはんしたり、延々人生の話したり、気ままに旅行行ったりしてくれる「落ち着くな~」という心持にさせてくれる家族、友達、その他いろんなカテゴリーの関係性の方々。もちろん一人も大好きだけど、それは私にも「誰か」がいてくれるという安心感があるからだと思う。最近のテーマは「自己開示」で、もうちょっと人見知りの皮を剥いで、人脈広げていきたいなというところ。住む場所定めずに生活してみているのもそういう挑戦心の一環のつもりです。

やっと文字にするのが怖くなくなってきた

最近やっと言語化がちょっとずつできるようになって、いろいろ気づきが生まれているところです。また「I was born to~.」シリーズがたまってきたら書いてみようかな。


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