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愛を返せない男【掌編】


彼はどうしようもなく人から愛されてしまう、
そんな男だった。

彼の整った容姿が人々の注意を引き、彼の隙だらけの言動に人々は心を許してしまう。言い方を変えると、男性か女性かに関わらず人々の内に眠っている「母性本能」を引き出してしまう、そんな魅力が彼には備わっていたのだ。

彼の周りには自然と人が集まってきた。
なぜなら、どこか抜けている彼を見ていると危なっかしく見えてきて、自然と心配になって彼を助けにいってしまうからだ。

しかし、彼自身が人々に愛を求めているという訳では決してなかった。ただ、人々が自発的に彼に近寄ってきては、勝手に彼に世話を焼いてあげて帰っていくのだ。
彼は人々に助けてもらうたびに、どうしたものかとポリポリ頭をかきながらチャーミングに苦笑いをした。しかし、そのチャーミングな苦笑いが、また人々を呼び集めてしまうのだった。

そうやって彼はいつでもどこでも、どうしようもなく人々に愛されていたし、人々はどうしようもなく彼を愛してしまった。
ただ、問題は彼が受けた愛をどうにもこうにも返すことができない、そんな男であるということだった。

彼はただ、受けたものをそのまま受けれ入れた。感謝することも忘れなかった。ただ、本当に「それだけ」だったのだ。彼は必要以上に人々と言葉を交わそうとはしなかったし、彼から人々に積極的に関わろうとすることもなかった。言い換えると、彼はいつも話しかけられる側であったし、人々はいつも話しかける側であったのだ。人々はただ自身の時間と労力を彼に注ぎ、そして彼はそれらを吸い尽くした。人々は彼に近づき、そして一人、また一人と彼から去っていった。彼が何も人々に与え返さなかったからだ。

しかし、彼の周りから人々が消えることはなかった。なぜなら、彼から一人去っていく度に、また新たな一人が彼を愛しに近づいてきたからだ。中にはかつて彼を愛し、そして彼を見限ったにも関わらず、再び彼の下に戻ってくる人もいた。時間が彼の魅力を思い出させたのだ。

だから、彼はいつも人々に愛されていた。
彼を愛する人々の顔ぶれはその時々で変わっても、彼がいつも誰かに愛されているという事は変わらなかった。彼はそのことを自覚していたが、それ以上自分がどうすればいいのかわからなかった。人々は彼に「少なくとも人々が彼を愛したように人々を愛し返してくれること」を暗に願っている、そのように彼は感じていたし、そうするべきなのだろうとも思っていた。

しかし、彼には愛を返すことがどうにもできなかった。一日に自分が与えられる愛の量は決まっているが、あまりにも返すべき人々が多すぎて彼には平等に愛を返すことが出来そうになかったからだ。彼がどんなに頑張ったところで、彼は人々を満足させてあげられないのだから、それならば誰一人として愛さない方がいいのではないか、そんな気もしていた。

また、彼自身が人々に対して彼への奉仕を求めていたわけではないのも確かであった。
それなのに人々が彼に近づいてきては、勝手に彼に期待して、勝手に失望して離れていく。その繰り返しだった。彼は人々に感謝しつつも、時に人々を迷惑に感じていた。

彼は人々を静かに傷つけ、彼自身もまた静かに傷ついていた。

それでも彼はどうしようもなく人々から愛されてしまう、そんな男だった。それが問題であった。
それと同時に、彼は愛を返せない、そんな男でもあった。
それが、さらに問題であった。
いつも誰かが彼に世話を焼いていて、彼はいつも誰かに感謝した。
しかし、彼は自分のことを本当の意味で理解し愛している人は、実は一人もいないのではないかと感じていた。多くの注目を浴びながらもその視線が彼を通り抜けているように感じられた。
彼は自分自身が透明で、実はそこにいないのではないかとさえ思った。

「この人々が見ているのがこの僕でないなら、この人々は一体だれを見ているのだろうか?なぜここに集まってくるのだろうか?」
そんな疑問が脳裏をかすめては、彼は苦笑いをするしかなかった。

しかし、人々の内で、彼のチャーミングな苦笑いに込められた「問いかけ」なり「戸惑い」に気づく者は、やはり誰一人としていなかった。

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