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素振りみたいな文章

僕は文章を書くのが苦手だ。
なぜか書けば書くほどに、言葉は思っていたものとは違った方向に進んでいってしまうからだ。

だけど、文章を書くのは面白い。
書いて直してを繰り返している内に、思っていたのとは違った発見が文章の中にあったりするからだ。

「あるようでなくて、ないようである」
そんなイメージなり思いなりに言葉を着せて、繋ぎ合わせる作業。
読み返す度に、崩壊した日本語の文法や誤字脱字に唖然とする。

メモの塊を見返してみると、意味のない言葉の羅列が、何やら僕に語りかけてくる。
この文章を書いていた時、僕はいったい何を考えていたのか。
意味の無さそうな短い文章ほど、なにやら深い意味があるような気がするという、なんともアイロニーな現象。
それを書いた本人が、なんだろうと考えているという、なんともバカらしい様相。

そもそも文章というのは、なにかしらのテーマが無いと書きづらいものだ
伝えたいことがあったり、表現したいことがあったり、また書かなくてはならない対象がはっきりする時に、人は文章を書きやすくなる。
例えば、社会科見学の感想文や運動会の作文もそうだし、ツイッターでの現状報告でも、何かしら書くことがあるから書けるのだ。

ただ一方で、素振りのための文章というのもある。
なんのテーマも無く、なんの意思もない、ただ書かれた文章。
タイピング練習よりはいくぶん文章としての体裁を整えてある、書くことが目的で生み出されたそんな文章。
それが、「素振りみたいな文章」ってやつだろう。

高校野球の球児は、公園で素振りを繰り返している。
自分のフォームを確かめ、より鋭く、より効率的にバットを振れるように、彼らは素振りを繰り返している。
文章にも、素振りのような行為があってもいいと思うし、むしろあってしかるべきだともいえる。

テーマが無くても、ただ書いてみる。思いつくまま、つらつらと。
誰が見るのかは、よくわからない。
道端で素振りを繰り返す球児を、じっと見つめる物好きがあまりいないように、
素振りみたいな文章を読んでくれる人も、そんなに多くはないだろう。
それでも、文書を書いてみる。一言、一文、ブン、ブン、ブンと。

書くことは苦手だ。だか面白い。
書いていく内に、テーマが出てくることもある。
素振りのような文章は、実は自分を掘り下げるような作業にもなり得るという希望的観測。

A:「僕は今、北極的な南極にいる」
B:「そんな君は、明石家よりもさんまみたいだ」
A&B:「ははははh」
そんな無意味な言葉を積み上げる。

球児たちは、一日に何回素振りを繰り返すのだろうか。100回?1000回?
僕は一日、一回、文章を書くことにしよう。
文字数は、とりあえず100文字以上であればそれでいいだろう。

とりあえず、「素振りみたいな文章」なのだから。


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