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虫けら

コンロの火口に降り立ったゴキブリ。
僕はとっさに、火をつけた。

チチチチ

ゴキブリは身を悶ながら、熱さに焼かれながら死んでいった。

―――

僕のいる大学の宿舎の台所は、共同である。
毎日、掃除のおじさんが掃除してくれているので、そこまで汚いわけではないが建物自体が古いこともあって、共同の台所にはよく大小のゴキブリが出る

特に、夜になって台所の電気をつけるとゴソゴソと徘徊する彼らに遭遇する機会が多い。そのたびに、僕は「ちょっと気持ち悪いな」と思いながら、料理をちゃっちゃっと済ませて鍋に火をかける。

しかし、今夜は何を血迷ったのか、小さなゴキブリがコンロの火口に降り立っているのが見えた。僕はゴキブリのいない方に鍋を置いた後、とても機械的にコンロに火をつけてゴキブリを攻撃した。

突然噴き出した火に驚いたゴキブリは、そこらかしこに走って悶えていったが、コンロの口から脱出することができず最後にはひっくり返ってそのまま動かなくなってしまった。

僕は鍋に火をかけるのも忘れて、ただその様子を眺めていた。
それ以外に見るものがないかのように、その一部始終に心が奪われていた。

ふと「小さきものにも、五分の魂」という諺(ことわざ)をいつだか、本で読んだのを思い出した。
頭の中で、まだ会ったこともないお坊さんが僕をキッ睨みつけて、
「・・・小さきものにも五分の魂ですぞ!」
なんて叱ってくるイメージが浮かんできた。

相手を「虫けら」だと思った瞬間に、人はなんの抵抗もなくその生命を火にかけることになるのかもしれない。
それは人に対しても同じことだ。人を虫けらのように考えるというのは、突き詰めていくと、虫けらのように扱うことになる。
つまり、面白半分でその体に火を放つことに躊躇しなくなってしまうということだ。

部屋にもどると、小さな虫たちがベッドの上に無数に死んでいた。
僕はその惨状に少しばかり困惑した。

白いベッドの上に散らばったその「無数の死」たちを目にした時、
突如として、ゴキブリを焼き殺したことに対する自責の念がフツフツと湧いてきた。

なぜだかは、よくわからない。
それ以来、虫の死に少し敏感になってしまった。

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