ピーターパン症候群?【掌編】
「・・・20代前半か」
「はい」
そんなやりとりをした。
目の前の青年は、20代前半だという。
彼はいう、「自分には時間がない」と。
僕は思う、「君には時間が溢れている」と。
彼が時間を喪失しているように感じるのは、まだ見ぬ未来が日に日に切迫して感じているからなのだろうか。
一方で、僕には彼の時間が溢れているように感じるのは、すでにその時を失ってしまっているからなのかもしれない。
「『可能性』をもっている、その『余地』がある、それだけで君の時間は膨れて見えるよ」
ふと僕はつぶやいた。なんてことない、独り言のように。
青年はそれをしかと聞き取って、怪訝そうな顔をしながら僕を見た。
「おじさん、人生というのはその可能性を削り取って、形にしていくことでしょう?」
そう、そのとおりだ。そうやって人は空白を様々な色で塗りたぐっていったその先で、ふと思うのだ。
「余白が恋しい」と。
「・・・おじさんは、ピーターパンになりたいのですか?」
「ピーターパン?」
「永遠の少年である人、またはそれを望んでいる人です」
「・・・そうかもね。いや、一定の歳を超えたときから、人は余白の有無以外に基本的に変わりなくなってしまうんじゃないかな。つまり、みんながそれぞれピーターパン」
「自分は少年であることを望んでないので、非ピーターパン派です。自分ははやく大人になりたいんです」
「わかった、じゃあ僕はピーターパン。それでは君はなんだい?」
「自分ですか?そうですね、『今のところ』ですが、まだ何者でもないティンカーベルってとこでしょう」
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ふわふわ、かちかち、とんとん
そうやって人生のそこらかしこを押してみる。
ふわふわ、かちかち、とんとん
なんの音、なんの感触もしない。
そうか、これがネバーランドってやつなのか。
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