2つの心【掌編】
人の悪意を感じることがある。
それはふとした瞬間のことだ。
いや、悪意というにはもっと些細で、ありふれていて、それでも心にねっとりと染み込んでくる、そんな視線のことだ。
会話の中で、ふと。
メールのやり取りの中で、ふと。
そういった、ふとした瞬間に、その視線が僕の顔を捉える。
「・・・はあ」
誰もいないガラっとした駅のホームで、僕はそんな出来事を思い出しては、大きくため息をついた。
「どうした、若者」
突然声をかけられて、びっくりした。
横を見てみると、そこには白髪のおじいさんが立っていた。
その目は僕のことをしっかり捉えていた。
「悩んでおるのかね?」
おじいさんは、警戒している僕の視線に構わず語りかけてくる。
「・・・悩んでいるわけではなんですけど・・・」
そうこうして、僕と見知らぬおじいさんは誰もいないプラットフォームの片隅で、世間話でもするように、ぽつりぽつりと少しずつ語りだした。
僕は話していくうちに段々とこのおじいさんに心を開くようになった。
彼はしっかりと僕の目を見つめ(少し負担に感じるほど)、僕の言葉を受け止め(世代の違いを感じないほどに)、そしてしっかりとした口調で彼なりの考えを語った。
白髪のおじいさんは、「悪意の混ざった視線」について特に色々と語ってくれた。
以下は、その要約である。
ーーーー
いいかい、若者よ。
人には2つの心があるんだ。
「人を好きになる心」と、「人を見下したい心」だ。
どちらか一方だけあるのではなく、この2つを同時に持っているのが人なのだ。
ある時、優しくしてくれていた人が自分を「実は」蔑んでいるようだと感じることがある。
わかる、それはショックだ。
しかし、その人は「実は」、または「コソコソと影で」君のこと蔑んでいたわけではない。
少なくとも私はそう考える。
出会ったその日、その瞬間から、その人は君のことを「見下そうとしていた」のだ。
もちろんそれは悪意からではないよ。それが人の本性だからだ。
自動的にそうなってしまうのだよ。
いいかい、その人が変わったんじゃない。若者よ、君の気分がね、その人の心のどちらかにより焦点を当ててしまっただけなんだ。
「人は基本的に人を尊重しながら、同時に見下している」生き物なんだよ。
こればっかりは、しかたないのさ。そう生まれてしまったんだからね。
だから、日頃見えなかったそんな一面(つまり君のことを蔑んでいたということ)に気づいてしまうこともあるけど、そこは開き直ることが肝心だよ。
いやもちろん、傷つくのが普通だよ。誰だって、見下されるのは嫌なもんさ。
わしだってそうだよ。何歳になろうがね、心の痛みというものは大して変わらないものだよ。
しかし、逆を言えばさ、人は人を見下しながらも、同時に人を尊重し、好きにならざるを得ない、そんな生き物なのだということでもあるんだ。
そうだろう?そこを決して忘れてはいけないんだよ。
問題は、その「どちらの心を信頼するのか」なんだ。
そして、どちらの心に君の言葉とその笑顔を届けるかは、
若者よ、君にかかっているのさ。
ーーー
白髪のおじいさんはそう言うと、
バカにしたような目で僕を見て笑った。
僕も彼に笑い返して、
おもいっきり中指を立ててみせた。
僕はこの老人が言っていたことが、なんとなくわかったような気がした。
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