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あなたは誰ですか?【掌編】

「あなたは誰ですか?」

そんな言葉が、騒然と僕の体中を駆け上がった。
足元から何かが崩れ落ちるような、よりどころのない不安感が胸の奥に広がった。

ーーー

久しぶりにあった、3年前に別れた彼女。
高校卒業と共に、いや、大学進学と共に、僕らの関係は自然とリセットされた。

そんなことになるとは思いながら、僕らは「そんなことにならないよね」と何度も確認しあっていた。
もちろん、忘れていくって知っていたくせにね。
僕らはそうやって、別れるすべを時間に委ねることにしたのだった。

そういえば、いつからだろう。
SNSで君の連絡を心待ちにしているくせに、いざ自分が返信するとなると億劫になりはじめたのは。
いつからだろうか、君の返信がもう一ヶ月以上返ってこないことにも気づかなくなったのは。

そしていつだったかな、彼氏と手を繋ぐ君の姿を駅で見かけたのは。

僕らはそうやって、少しずつ、あまりにも順調に、お互いの影を心の中から放逐していった。さよならも言わずに。

高校を卒業して、もう3年が経って、こうして僕らは大学4年生になっている。

そうして、なんでかな。
こうして、実家の最寄りの駅で君にばったり会ってしまった。

「久しぶり」
彼女がまず声をかけてきた。

「うん。・・・元気にしてた?」

僕らはひとまず駅を出て、それぞれの実家に向かっていった。
とはいっても、僕らの帰り道はほとんどが同じ方向にあった。
なんだかんだいっても、僕らは同じ地元で、同じ中学、同じ高校で育った根っからの幼馴染だった。
だけど、大学進学とともに僕らはそれぞれの街に出ていった。
「この街」と疎遠になるのと一緒に、僕らをつなげていた何かも緩んでいったのだろうか。

「ここらへんは、あまり変わらないよね」
彼女は夕空に浮かびあがる僕らの街を眺めながらつぶやいた。

「・・・そうだね」

この街で再会したからなのか、僕らの間にあった気まずさはもう無くなっていた。
駅を出て数歩歩き、あまりに体に馴染んでいる駅前の空気を吸って吐くだけで、徐々に僕らの口は軽くなっていた。
いつしか、僕らはちょっとした冗談を交えながら、お互いの状況についてそれとなく報告し合っていた。

彼女は就活に精をだして、それなりの大手の企業に内定がきまったそうだ。それに対して、僕は大学院への進学の準備をしている。

「あれ、そんなに勉強熱心だったっけ?」
彼女は少し茶化すように笑って、僕に顔を向けた。

その時だった。
彼女のその表情が懐かしくもあり、そして、どこか別人のように感じた。
僕はその違和感を振り払うように、大きく息を吸い込んだ。

「そんなんじゃないよ。学生というモラトリアムを延長したいだけ」

「そんなことだろうと思った」
彼女は軽やかなため息をついて、また前を向いた。

しばらく、沈黙が続いた。暮れていく道中をゆっくりと歩きながら、僕はこの静けさがずっと続けばいいのにと思った。

「わたしたち、どんな大人になるのかな?」
彼女がふとつぶやいた。

僕は横を歩く彼女に目をやった。
上品にウェーブしている黒髪と控えめながら要領を得たメイクに、上品で花やかな香り、そしてどこか遠くを眺める彼女の横顔。
彼女は今もきれいだった。

ふと、彼女と目があった。
僕らは黙って、しばらく見つめ合った。
僕の中で、さよならしたはずの彼女の記憶が、その影が、少しずつ重力を取り戻していった。
僕は彼女を知っている。僕は彼女が好きだった。だけど、、、
僕の中で取り戻されつつある「彼女」と、僕の目の前にいる「彼女」は、もう違う人だった。

「••••あなたは誰ですか?」

僕らはそうして、また別れた。
それぞれの時間に身を委ねながら。

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