見出し画像

本屋での本の買い方

本屋が好きだ。
もしかしたら、本を読むことより好きかもしれない。

店中に立ち込める紙の匂いは、はやる心を落ち着かせてくれる。
所せましと並べられた表紙や背表紙はモザイク模様をなし、視界に飛び込むタイトルの数々は脳髄にエンドルフィンの雨を降らせる。

池袋のジュンク堂が好きだ。
圧倒的な書籍数で、来る人を溺れさせてくれる。

青山ブックセンターが好きだ。
本棚の一つ一つに、洒落とウィットがふんだんに仕込まれている。

かもめブックスが好きだ。
木漏れ日が差し込める店内に並ぶ本のショーケースを目にすると、いつも心が軽くなる。

旅行に行ったときは、その土地の本屋をのぞく。
京都の恵文社をはじめて訪れたときの衝撃は、今でも忘れられない。
書籍と空間の完璧な調和。計算しつくされた自然さ。

いつかパリのシェイクスピア・アンド・カンパニーに行ってみたい。
仮に実物が言うほどじゃなかったとしても、数多の伝説が生まれたあの場所で、在りし日の光景に思いを馳せてみたい。

本屋という空間が好きだ。
書籍だらけの部屋から醸し出される、空気が好きだ。

欲しいものは、仕組まれている

われわれは、消費社会に生きている。
自発的に「これが欲しい」と思って選んだはずのモノは、プロモーション、広告、マーケティング、その他ありとあらゆる「買わせるための戦略」に誘導された結果でしかない。

たとえば、あなたが読みたいと思った本をAmazonで買うとしよう。
サイト内のページにはお目当ての本に加えて、自身やほかのユーザーの膨大な行動データから導き出された「おススメ」や「関連商品」が多数表示される。
あなたはそれらのレコメンドに興味を持ち、時には購入を検討することもあるだろう。
けれど、その時あなたは「サイトのUXによって欲しいと思わされた」だけであり、本当は大して欲しいとは思ってなかったのかもしれない。
そもそも、あなたが当初欲しいと思っていた本もまた、広告やマーケティングによって購買意欲を喚起させられただけの可能性も大いにある。

われわれはシステムによって、モノを買わされている。それ自体は仕方のないことだ。
欲求の喚起こそが消費社会の基本原理であり、われわれ消費者の「あれが欲しい」の気持ちが原動力となって経済が機能しているからだ。
したがって、広告やマーケティングを悪者扱いする意図はさらさらない。
実際、現実世界に店舗を構える書店だって、あの手この手を使って商品を買わせようとする点では同じだ。

それでも消費者の立場からすれば、一杯食わされる相手は選びたいものだ。
どうせ買わされるなら、僕はアルゴリズムよりも本棚からがいい。

本棚が演出する出会い

去年の9月、京都にある誠光社という書店を訪れた。

店長の堀部篤史さんはかつて京都の名書店・恵文社の店長を務めていた方で、2015年に独立してこの誠光社を立ち上げたのだそう。
取次業者を介せずに出版社との直接取引でのみ書籍を仕入れ、陳列する本やその他のアイテムも厳選して決めているというこだわりぶり。

ちょっと足を踏み入れた瞬間から、他の書店とは異なる雰囲気を感じた。
本棚の一つ一つから、呼吸が聞こえてくるようだった。書架の配列ひとつひとつに意図が感じられるような気がして、1m×2mの空間にちりばめられた秘密を解明しようと、時間も忘れて魅入ってしまった。

1時間くらいしてようやく、気に入った本を見つけて会計に持っていった折に、レジ前に座っていた堀部さんと少しばかり会話を交わした。
その際に堀部さんは、こんなことを仰られていた。

「ネットでならどんな本も手に入るけれど、どうしても自分の知っているもの、興味のある範囲までしか見つけられないんですよね。
その分店舗は陳列できる数が限られているけど、当初は全く興味がなかった分野の本との、思いがけない出会いがあったりするんですよ」

細かいところまでは覚えていないが、ニュアンスは大体こんな感じだった。
僕はこの発言の中に、書店の存在価値の本質を見た。


読書は、しばしば作者との対話だといわれる。
それならば書店での本選びは、書店員との対話だといえる。

ほとんどの書店では、そこで働く店員が仕入れる本を決め、自分たちの手で陳列し販売する。
本棚に並べられる書籍の配列は、その書店のビジネスモデルやお客さんの特性、あるいは書店員のこだわりにしたがって最適化される。
大きな街の大きな書店では、多種多様な書籍が大量にかつ組織的に並べられる。
小さな街の本屋さんでは、そこに暮らす人の生活に根差したラインナップが並ぶ。
オシャレな街のデザイナーズブックストアには、感度の高い人が好むアート本や稀覯本がチョイスされている。

書店の数だけ本棚があり、一つとして同じものは存在しない。
さまざまな要素が有機的に絡み合って、本の生態系を形成しているのだ。

書店の本棚と「対話」することによって、当初はまったく眼中になかった本との、運命的な出会いが起こることがある。
本を提供する「本棚」と本を選ぶ「わたし」が邂逅を果たした先に、「予期せぬ出会い」というアウフヘーベンが立ち現れる。

その奇跡を演出するのは、他でもない実店舗の本屋だ。
ネットショッピングのアルゴリズムじゃ、アウフヘーベンは起こせない。

「本が売れない時代」に思うこと

いまさら言うまでもないが、書店業界にとって厳しい状況が続いている。

ピーク時には全国3万店舗近くあった書店数は1990年代から下落の一途をたどり、2018年度には店舗総数がついに1万を切った。
存続する店舗も大型化・集積化が進み、苛烈な生存競争のさなかにある。
新店舗はもっぱら大資本を抱えた企業によるチェーン展開の大型書店で、個人や小規模の資本で運営される本屋は減る一方だ。

さらに、2000年代からはネット書店という強力なライバルが現れた。
紙媒体の本をオンラインで購入できるのに加え、持ち運びの必要がない電子出版の登場により需要は年々増加。
2010年はリアル店舗とネットの売上費はだいたい9:1だったが、2019年には2:1までネット経由での売上高が増加。
この傾向が今後も続けば、早くて数年後にはリアルとネットの売上高が逆転するだろう。

書籍は生活必需品ではない。
食糧を買い続けなければ生きていけないが、本はずっと買わなくてもそれで死ぬことはない。
だとしても、人々が全く本を読まないような社会は、豊かな社会とは呼べないと思う。
僕には、今の世の中がそっちの方向へ向かっている感じがしてならない。


この文章を書くにあたって『東京の美しい本屋さん』という本を読んだが、そこで紹介されている書店のいくつかはもう、閉店したり完全オンライン販売に移行したりで、現存する店舗は存在していなかった。

本屋が好きだ。
そこは、未だ見ぬ本との予期せぬ出会いを演出してくれる場所であり、同じく本を愛する人との対話を可能にしてくれる空間だからだ。

だから、もっと本屋に足を運ぼうと思う。
もっとたくさんの本棚と向き合い、彼らの呼吸に耳を傾けようと思う。


そしてそれは、消費社会というあまりにも強大なシステムに対する、僕個人のささやかな抵抗でもあるのだ。

あなたのちょっとのやさしさが、わたしの大きな力になります。 ご厚意いただけましたら、より佳い文章にて報いらせていただきます。