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躙り寄る夏に臍を噬む

ここ数日、寝る前の1時間だけ、クーラーをつけて寝るようにしている。
今日、帰り道にミンミンゼミの鳴き声を聞いた。先週末にはアブラゼミが、そのさらに前にはヒグラシが求愛のために空気を震わせるのを耳にした。

今日も猛暑日だった。天気予報のキャスターが、明日も猛暑日になると告げる。


いつからだろう。夏が来るのが疎ましくなったのは。


記憶の中にある夏は、空がカーテンを模様替えしたように鮮やかに始まっていた。

梅雨入りを境に、分厚い雲が空を覆い、アスファルトと同じ色の空は何日にもわたって退屈な雨を降らせる。7月の半ば、もうすぐ夏休みが始まろうかという頃に、突然ウソみたいに青空が顔を出す。かと思ったら、昼過ぎには真っ黒な雷雲が空を食い尽くしてしまって、にわか雨がどっと降り始める。

不安がる幼い僕の横で、母は「あれは夏が、雨を降らす雲を追いやっているのだ」と教えてくれた。

翌日、ニュースが梅雨明けを告げた。
夏に降るにわか雨を「夕立ち」と呼んでいた頃のことだ。


このところ、梅雨時の天気の特徴が変わったような気がする。
具体的なデータを参照しているわけではないので大したことは言えないが、はやる気持ちに待ったをかけるような、シトシトと降る雨の日がぐっと少なくなった。
その代わりに、輪郭のぼやけた蒸し暑いだけの薄曇りと、品性のない、ただひたすらに獰猛なだけの雨が増えた。両者が8:2くらいのバランスで変わるがわる過ぎていって、気がついたらでたらめに暑いだけの季節がある。


5月の晴天への惜別も、6月の青空への恋慕も、7月に太平洋高気圧が前線を北へ追いやるカタルシスもなくなった。
そして、ただ多湿の不快感と豪雨への恐怖と、いつの間にか居座っている酷暑だけが残った。

いささか悲観的すぎるかもしれない。けれど、僕にとってはこれが真実だ。


先週の一週間は「人類史上最も暑い一週間」だったそうだ。
南太平洋の水温が上がるエルニーニョ現象の影響で、今年は地球全体がとても暑くなる年なのだという。地球温暖化はますます進んでいって、異常気象はこれからもっと、これまで人類が経験したことのない頻度と激甚さで襲ってくると予想されている。

かつて心待ちにしていた季節を、今は疎ましく、そして恐ろしく思う。
そしてそのうち「ああ、今年の夏も生き延びられた」という日が来るのかも。
けれど、今の自分にはそれを変えられるだけの力がない。
ただ汗を流し、クーラーに頼り切って、涼しくなるのを待つしかない。


仕事で自社のESG関連の対応に携わっていることもあって、地球温暖化や気候変動のニュースへの感度が高くなった。
調べれば調べるほど深刻な状況にあることがわかって、それでも現状自分ではどうすることもできないことに、時々苦虫を噛み潰すような気持ちになる。

それは何も、特別に意識の高いことではなくて。
子供の時に感じた、夏がやってくるときのあの高揚感を、自分の子供や孫の世代にも残しておきたいという気持ちだけなのである。

あなたのちょっとのやさしさが、わたしの大きな力になります。 ご厚意いただけましたら、より佳い文章にて報いらせていただきます。