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いい子でいようとして、自分を苦しめた

2023年3月12日
こんにちは。自分の自分はこのnoteを本を読んだり、学んだ知識をアウトプットしたくて2023年2月1日始めました。
そして「自堕落な自分を変えたい」、「夢をもって楽しくいきたい」と思って過ごしていました。
しかし、2023年3月1日あたり。

前のダメな自分に戻ってしまった。

本のアウトプットもnoteで学んだことを書くのをやめていった。なぜ前の自分に戻ってしまったか書いていきたいと思います。そして、今後の自分がどうやったらうまく行けるか頭の整理をするためにも。
自分が人生につまづいている、瞬間今の施行に至るまでをどんどん書いていきます。
正直、自分を振り返るのが嫌いで現実から目を逸らしていたのですが、振り返りながら書いていきます。
よかったら見ていってください。

かつての自分ってどんな奴だったのか

自分は今大学三年生です。
正直大きな夢を持ってない。人と関わりたくない。ただ別に嫌いじゃないし、一緒にいると楽しい時の方が多い。
そして、やるべきことやらない。課題もほとんど遅れて提出するし単位もがんがん落とす。
ただ、ずっとこんな自分じゃなかった。自分に希望を持っていきていたこともあったし、親が幸せになるような自分でいたい、周りが幸せになってほしいとか温厚な気持ちもあった。
ただ、自分から逃げるようにどんどん変わっていった。

我慢して頑張れば、何か変わると思っていた

まったく勉強ができなかった小中時代

自分は本当に勉強ができなかった。課題をさぼったこともないし、テスト勉強もある程度はやっていた。しかし、できなかった。
小学生の頃は、クラスで下から数番目、100点取ったことは無いし、90点取ったのは最後が小3くらいかな。
中学生の頃は、学年では250人いたら、だいたい140番くらい。
できない自分に本当に嫌気がさした。何でこんなにできないんだ。なぜ周りと違うんだ。本当に自分が嫌で親塾に行かせてくれと懇願した。
自分の家は、裕福ではないけど貧乏でもない家庭。ただ親の押し付けがひどかった。
自分がやりたいことは基本だめ、サッカーやりたいといっても体力無いからから辞めろ。中学時代高校時代、これやりたいというスポーツもどうせ無理で一蹴りされてしまう。
ただ自分の考えを押し付ける親だったため、親の価値観の範囲外のことは、勿論だめ。
「塾行ってない人は沢山いる。ならその人みたくやればいいだろ。」
「塾行ったところでその人次第だし変わらない」

本当に悔しかった。

なんで勉強したいからお願いしますといっているのに行かせてくれないのか。結局だめだったため、自分はおばあちゃんから払って貰って塾行くことになった。
その時は中学二年生の冬。
入ってからは本当に勉強した。その結果、偏差値40台の学力だったけど、偏差値60くらいの高校に入学できた。
高校受験の割にはすっごい勉強したと思うし、周りより頑ったと絶対言える。
「俺実は頭いいんじゃね!?」って思ったりもした。

なるべく親に迷惑かけたくない。弟の自分くらいは

自分には一人の兄がいる。
兄自身も親の押し付けはあっただろうけど、本当にぐれていた。
一緒にゲームしたりしたりして楽しいことは多かったけど、子供の頃はたくさん兄にいじめられていた。
だから、自分に兄みたいになっちゃだめだ。その気持ちしかなかった。
実際、兄は死ぬほど親に迷惑かけていたし、俺は親にとっていい子になろうそんな気持ちは多かったと思う。
そのため、意思は弱かった。
むしろ、どうせ言ってもだめだろうという気持ちがあった。
親がだめなものはダメなんだ。親の押し付けも正しいと思っていたし、とにかく自分のためなんだ。
親は自分に安定した職業をついてもらいたい思っていたし、子供ながら将来の夢は公務員だった。
なりたいというより、なりなさいみたいな感じ。普通の企業だと安定しないとそんなことばっかだった。
だから、そこらの会社で就職とかしたら危ないんだと思っていた。
ただ、自分と周りのズレに、うすうす感じていた。
周りは伸び伸びしているのに何で自分はこんなに新たな挑戦がだめだと思っているんだろう。
成長するにつれて自分に嫌気がさしてきた。

高校時代の苦悩

親の押し付けは変わらない

高校時代も親の押し付けはずっと変わんなかった。
ゲーム買いたいといってもダメ。
何のためのお小遣いなのかわからないが、なぜかだめだめばっか。
バトミントン部入りたいといっても、やったことないでしょ、ダメ。
で終わり。
当時の自分は親に納得して貰えないことはダメなことなんだって本当に思っていた。だから、高校時代は好きなこと、やってみたいことも何もやらないで過ごしていた。
そして、高校三年生迎えた。

勉強ができない、頭の悪さに直面

受験の本格的な時期。もちろん馬鹿なりにめっちゃ勉強した。親は、国公立に行って欲しい気持ちだった。自分もいければいいと思っていた。しかし、成績が程遠い。
もともと勉強できないやつが偏差値60の高校にいったから一年生の頃から必死に勉強していたが、学年では学年順位で半分されとれなかった。
二年生の夏から部活している生徒を見て今勉強してこの人より絶対いい大学っていうモチベーションだけで勉強した。
自分は理系だったため理系の私立でいい大学に行きたかった。というのも、文系科目は中学時代から苦手で、高校受験では国語と社会は60点しか取れなかった。
それもさぼったからではない。死ぬほど勉強していたのに取れなかった。
高校入るとその組織ではもっとできなくなる。
古典、現代文は下から数番目というのが常だった。
社会もしたから数十番目だったし、模試で学年最下位を取ったことがある。
そのため、自分の知能では国公立は無理だ。
心の底から思った。

燃え尽き症候群になるまで

高校三年生、どの大学選択を真剣に考える時期。
自分は私立に行きたいという思いを親に告げた。
そしたらなぜか怒られた。この時期に私立行くとかやめろ。金かかると。
そして、そのまま地理の教材を買いに行った。
勿論悲しい気持ちになった。何でよ。俺だっていけるなら行きたいよ。
そして苦手な地理を沢山勉強した。
本当にずっと勉強した。ただ模試では学年で半分以下。
一番最初の最下位に比べればましだが、誰よりもやっているのに平均さえ取れない。
ちょっとやっても周りもやっているしという人もいるかもしれないが、勉強は絶対にさぼっていないといえる。
自分に鞭を打って、突っ走っていった。本当に心がつらかった。
ただずっと成果が出ない。
そして、完全に折れてしまった。

燃え尽き症候群だ。

完全に折れる一週間前から徐々にやる気がなくなっていった。
何でこんなやってんのに成績が上がらないんだ。
これから地理なんて無理だ。
そもそも文系科目に比べたらましなだけで、理系科目も国公立に合格できるレベルでもない。
どの大学にも行けなくなってしまう。
それでも親の意思に背かないように、国公立に向けて勉強は続けた。
ただ、心は壊れていた。

燃え尽き症候群になり無気力になる

そして、燃え尽き症候群になった。ここでは燃え尽き症候群といっているが、もしかしたら鬱だったかもしれない。病院で診察を受けていないためそこは、わからないが心がずたぼろになっていた。主に起きていたことまとめる。
・全てのやる気がなくなり、勉強ができなくなった。
・心が苦しくて、涙が出そうになる。
・周りに人がいると心が苦しい。
・死にたい
もうすべてが嫌になった。
何で自分はって何回も思ったし、周りとの劣等感、自分の不甲斐なさを感じた。自分が何もしていなかったらきっとこの気持ちになっていなかっただろう。友達は心配してくれたが、それも苦しかった。
もう本当に死にたい。もう全てから逃げ出したい。本当にそれだけだった。

担任の先生だけは味方だった

学校を一日休み、次の日無理やり学校に行った。
一日本当に無気力で、周りにしゃべっている人がいるだけ心が苦しくなった。
先生によく勉強の質問もしてたし、毎日放課後学校で勉強をしていたため、今の様子がおかしいと思ってくれたのか、その日面談があった。
自分はずっと泣いていて何を話していたか正直覚えていない。ただ先生との約束があった。
・学校は絶対に行くこと
・勉強はやめて好きなことをやること
気持ち的には、受験も高校もすべて辞めたい。ただその気持ち少し楽になった気がした。とりあえず、欲しかったスイッチ買って死ぬほどやった。
スイッチを買うといったときは、露骨にいや嫌そうな雰囲気をかもしだしていたが、先生との約束だからといって何とか買えた。
次のテストは半分くらい赤点とって高くても40点くらいしか取れなかったけど、何とか一番つらい瞬間は乗り越えれた。
ただ、気持ちは普通の状態には戻らなかった。
学校生活は送れるようになったが、自分の心の辛い気持ちは残っていた。
成績はそこから上がんなかったし、いきなりもう無理というような、無気力が突然襲ったりもした。ただ大学行ったら何か変わるかもって気持ちが僅かな原動力になっていた。

迎えた受験、滑り止めさえ落ちた

かつては、この大学行きたいという気持ちがあったが、心が折れた後はどこでもよくなっていた。
私立を三つの大学受けて、最初に受けた滑り止めの大学。
思ったよりできなかった気持ちはあったが、模試で悪くてもB判定だったし受かるだろうと気持ちでいたが。朝、母に起こされたと同時に不合格だったと伝えられた。
正直、受け入れられなかった。
ただ現実で、大学いけないのかなと思った。
そして急遽面談で先生と話して、受かるだろうという大学の候補上げられ、受験した。
そして、合格した。
本当にほっとした。
滑り止めを落ちるくらいだし、第一希望はもちろん不合格。
しかし、第二希望の大学は学科を色んな形式で受けたため、追加合格という形になった。
びっくりしたが、合格できたのはメンタル崩壊前の貯金のおかげだと思っている。

大学生になっても変わらない

大学生になったら何か変わるかもと思っていた。
時が今の自分を解決してくれるだろうと思っていた。
ただ、このまま変わらないでと思っていたかもしれない。
これで、誰かと関わらなく自由に生きれる。
夢だったり人生がどうでもよくなっていった。
誰かとどこかに行きたいとかもないし、むしろ行きたくない。
その気持ちが強かったし、今も正直その気持ちはある。
けど、生きてく上でよくないってわかってる。

今の自分を受け入れられない

時はたってどんどん変わるし、周りは変わっていく。
ただ自分だけ心が過去に取り残されている気がした。
自分は違かった。過去の自分の比較常に頭るよぎって嫌気がする。

自分に向き合わなくてはならない

こんな生活も長くは続きません。
過去に縛られてたら何も変わんないです。
自分が変わるしかないし、何とか変えないとと思い始めたのがこのnoteです。
誰かを恨んでも本当に何も変わらない。
結局、今の自分は自分でしか変えれないと思い自分をとにかく変えたかった。

自分がどう生きたいか見つけれない

メンタリストdaigoさんとか中田敦彦さんに感化されて、自分の人生を変えるために必死になりました。
とりあえず。本を読んでアウトプットするそれは絶対にして、好きな音楽はやり始めました。
最初は人生が変わっている気がした。
しかし、ずっと根本の悩みは解決しなかった。
人生を変えたいとはダメな自分を変えたいと思いはあったが、自分がどうなりたい、自分がこう生きたいという考えが浮かばなかったです。
その結果訳一か月程度で本のアウトプットとか本を読むことさえ辞めてしまいました。
ただ、やっぱり人生を変えたい。
そのためには、自分の心の奥底にある問題を解決するしかない感じました。

今後の自分と親との関係

今後は失敗から考えて、改めて考えなおします。
どこまでいっても自分が変わるしかないんです。
実は、これを書いてる途中に親と通話しました。
そこで、自分の思いを伝えて過去の話を全て話した。
その中ででた結論があります。
それは、親自身の価値観は変わらないこと。
ある意味吹っ切れた気がします。
今の自分に自信がないのも全部自分のせいなんです。
それでいいです。そう思わないと絶対自分だけ損するんです。
親とどんな会話したかとか、どんな親だったかとか自分が自分自身で生きて、しがらみから抜け出すためにも書いていきます。
今の自分は全部自分のせいです。
意志が弱いのも、自分が嫌いなことも、生きるのもしんどいと思うの全て。
ただ、この自分を変えたい。

さいごに

ここまで見てくれて本当にありがとうございます。
自分がこれまでどう生きて、自分がどう人生につまづいていたか、自分でも整理できたと思います。
これから自分が変われるように頑張ります。
これを見て、何かのきっかけになれたりしたらうれしいです。

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