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新宿の巨大猫と青空?クラブ


  夜、出歩きづらいご時世になってから、夜の街を撮る趣味へのモチベーションは低空飛行を続けていた。それでもぼちぼち投稿は続けている。幸いなことに、こんな世の中になってからInstagramのコメントに「出かけるんじゃないよ」と言ったお叱りの言葉は頂いていない。そもそもコメントが来ない。

 継続は力なり、なんてほざきながら毎日投稿を止めて久しい。とかく昨年の上半期はいろいろとあって病んでいたこともあり、外に出るのが億劫になっていた。しかし、一度何かのついでで、という理由で外に出てしまえばそれは容易くなる。買い物のついでに、いい雑貨を見るついでに、サウナでととのうついで(一年くらい前からサウナーを名乗り始めた)に、といった具合に。
 この前もそのような感じで、夜の街を歩いていた。キラキラしたネオンやライトアップされた街を収めることはライフワークというより、一種のリハビリとなっていた。

 今回のリハビリは歌舞伎町だった。ここはネオンが他のどんな繁華街よりも目立つし、賑やかだ。僕のようなさみしがり屋の人間はこういう感覚第一の街に惹かれるものなのだろう。とはいえ、僕の場合は大金を払って女の子と話すためでも、大量の酒を浴びるわけでもなく、ただその街の雰囲気に浸かりたいがためにそこにいる。ネオンの煌めきに全てを飲み込まれて、感覚の世界へ。


 さて、飯でも食って帰ろう。そんなときに、新宿駅の方から気分が上がるような轟音が聞こえてきた。さらに、交差点の反対側、スマートホンを上にかかげて何かを撮っている人々がいる。ただでさえ繁華街で人の多い新宿が騒がしい。コロナ禍以前の通常よりも盛り上がっているような気がする。久しぶりに見た騒々しい街の景色だ。

 人々がスマートフォンを向けている先、それは巨大な三毛猫だった。猫は時折現れてはその場から動くこともなく、じーっと騒がしい新宿東口を眺めていた。
 猫の街頭ビジョンでこれだけの人が集まるという事実。広告関係の仕事に片足を突っ込んでいただけに、この光景には考えさせられるものがあった。


   野次馬として、1枚。

 それから、猫に向けていた意識を轟音のする方へ向けた。轟音の正体は大爆音で流れているクラブミュージックだった。何かのゲリラライブかなと思い、音のなる方へ。
  新宿駅東口の広場がクラブとなっていた。主催者の身内と思われる人も野次馬も関係無しにノッている。
 総理大臣の顔にNOという文字を掲げたプラカードを持つ人、東京オリンピック反対と書いたプラカードを掲げた人が多く見受けられたが、イデオロギーを全面に出したような印象は受けなかった。踊れる音楽と時折噴き出すスモークがあれば価値観やイデオロギーの違いなど、塵に過ぎないのかもしれない。1人の野次馬に過ぎない僕は、ここで妙な一体感をおぼえた。


 警察が排除する気配を見せなかったし、時折主催者と思われる方が「密にならないで」と社会的距離をとるように促していた。
  異様な光景だったが、○○反対!関連の運動に対してよく感じる不快感が無かった。シュプレヒコールが無い代わりに楽しい音を出す。そこでさりげなくイデオロギーをかざす。
「上手いな」なんて思ってしまった。全体的に僕と変わらない年代の人が多かったと思う。近づきやすさと楽しさを押し出している。
  みんな、音に飢えているんだな。音を軸に集まりたいんだな。流れてる曲を知っていようが知らまいが。
  

巨大な猫はそんな人間の習性に興味を持ったらしい。
しばらくこちらを見つめていた。

サポートありがとうございます。未熟者ですが、日々精進して色々な経験を積んでそれを記事に還元してまいります。