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Marcy's movie garage 〜男の弱さの許容〜『インディ・ジョーンズ 運命のダイヤル』

 毎度お馴染み、ゆとり世代の映画レビュー。ムービーガレージのお時間です。

 この数年間、色々な映画が公開延期になり、最近になってそれが次々に公開されるようになり、いざ観たら「うーん…」と思ってしまうことが本当に増えた。特に長年続いていたシリーズものの映画はその傾向が顕著で、がっかりしたり、今までの流れとは違う結末に持っていったりと面食らうことが増えてきたのも事実だ。
 それを「ポリコレ」と揶揄する動きもあり(ポリコレの本来の意味とは異なり、侮蔑語みたいな扱いを受けていると感じているが、一つの事実として記しておく)、この映画に対してもそういう心配みたいなものがあった。 
 15年ぶりのインディ・ジョーンズの新作、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』だ。
 久しぶりの新作ということもあり、期待半分と色々な方面に配慮した結果わけのわからない話になるのでは、という不安半分で観てみたのだが、結論、過度なポリコレはなく、ナチズムへの嫌悪感と自由なUSAを丸出しにした「アメリカンな仕上がり」となった映画だったと思う。
 そんなアメリカらしさはご健在だったものの、やはり近年の映画の流れを汲んだ仕上がりになっているのも事実だった。今作の相棒はインディの友人の娘、ヘレナだ。初期作のヒロインとは違い、かなりパワーのある人物だった。老いたインディと対照的な力強さを彼女から感じた。
その一方で、今作はインディ・ジョーンズの弱さや老いを痛感したものでもあった。時代設定でいえばこの時のインディは70歳ぐらいで、演じているハリソンフォードも80歳あたりだ。しかし、そういう肉体的、年齢的な老いより精神的な老いを感じる場面がちょくちょく出てきた。若き日のインディ・ジョーンズなら決して言わないであろうセリフや、生きることに軽く失望しているような雰囲気を纏った老人インディの哀愁。総じて今作のインディはどこか弱い。この弱さは老いゆえの弱さでもあるし、男の弱さでもある。しかし、その弱さが否定されることはなく、ヘレナというエネルギッシュな女性がカバーしている。それでいて、その弱さは無能とはまた違うものだ。そこがうまく描かれているから、あまりポリコレの弊害を感じない作品になったのだと思う。
 リーダーシップのある、マッチョイズムにあふれた男性像というのは現代ではオワコンなのかもしれない。トイストーリー4のウッディも007も弱さを纏うようになった。ド派手なアクションが抑えられ、強い女性キャラが現れて、主人公が今まで抱いてた信条とは異なることを平気で言うようになってしまった。


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 長年親しまれてきた「男らしさのあるキャラクター」が悪ではなく自己に立ち向かうようになったのは最近の流れなのかもしれない。それがキャラクターの「らしさ」の崩壊に繋がっているような気がする。
 それでもインディ・ジョーンズの新作にポリコレ汚染を感じない(あるいは感じにくい)のは、インディが老いたからだろうか。年老いて翳りを見せたインディがネガティブなことを言うのは不思議なことではない。また、彼がそのネガティブなところに引き込まれなくて良かった。弱さを克服し、信条をとりあえずは貫いてくれた。そういう描写がしっかり描かれたゆえ、嫌な印象がほとんどなかったように思えた。

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