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Marcy's movie garage 様々なかたちの贖罪『グリーンマイル』

今回もやって参りましたゆとり世代の映画レビュー、Marcy'smovie garage。近年の映画ばかりだったので、今日は少し昔の映画を。


ネタバレ注意なので、見たくない方はそっとここを離れてください、、、







看守の主人公が不思議な力を持つ囚人に出会う、という『グリーンマイル』という映画。

トム・ハンクスとマイケルクラークダンカンの名演が光る映画で、公開から20年以上経った今でも彼らの代表作のひとつとして挙げられ、さらに、加藤シゲアキ主演で舞台化もされている名作中の名作。
原作は世界的に有名なホラー小説家のスティーブンキングだというものだから、これがまた興味深い。

ここでひとつ疑問が浮かぶ。もしかしたらこれもホラー小説と言えるのかもしれないと。


この映画は主人公ポールが看守として働く刑務所に特殊能力を持つ囚人コーフィが女の子を殺害した殺人犯として入獄され、そこで囚人たちや刑務官たちといざこざを起こしつつ、コーフィの不思議な力に気づいていくという聞こえは何となく感動作品のそれを連想させるのだが、正直結末は救われない話なのだ。

次々に電気椅子行きとなる囚人、トラブルメーカーの看守パーシーはコーフィの力(というより呪い)で精神病院行き、冤罪じゃないかと思われていたコーフィすら死刑執行。

感動作品といわれることも多いが、これはどちらかというと救われないことに対する悲しい悲しいお話だと思う。確かに囚人たちは凶悪犯罪を起こしてるし、パーシーは囚人たちに持ち前のサイコパスぶりを発揮している。当然の報いと言えばそれで片付けられるのだが、登場人物たちの人間臭さを見てしまうとどこかやるせないし、そんな人間臭さを見せながら淡々と死刑が執行されるシーンはかなりキツかった。それは彼らは死刑囚ではあるものの、作中では取り返しのつかない悪い事をした一人の人間として描かれていたからだと思う。

涙は出るが、これは感動なのか?という感覚が拭えなかった。

例えば、『マッチ売りの少女』という童話。あの話を読んで涙が出るということはあるだろうが、感動しました、とは言いづらいんじゃないか。
救われず、幻を見つつ死んでいきましたとさ。という話への涙は虚しさ、悲しさ由来のものなのではないか。

それはさておき。

前述の通り、当作品で登場人物たちにはあらゆる罰が下されるのだが、主人公ポールも例外ではなく最後に罰を受けることになる。

それは、「生きること」だ。

死という罰を受けたコーフィをはじめとした囚人たちとは逆に、ポールには長生きという罰を下された。終盤、108歳になっても元気なポールは自らの状態を罰だと語っている。

不思議な囚人コーフィを殺してしまったというのが自らの罪だと。

妻にも息子にも先立たれたというポールはこの先も生きなければならない。罪を償うということは何年間刑務所にいるだとか、電気椅子で生涯を強制終了させられるだとか、そういうことだけではないのかもしれない。

自分もまた無自覚で人を傷つけて、どこかでその罰を受けているように感じた。

サポートありがとうございます。未熟者ですが、日々精進して色々な経験を積んでそれを記事に還元してまいります。