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[クラブ史]1996年のジェフユナイテッド市原を振り返る

【本記事は10年前に書いたブログ記事の復元です】

ジェフの歴史を振り返る企画の第4回目。

しくじり先生も良いですが、ジェフ千葉先生って呼ばれるのはどうでしょう。そんなわけで、今回は1996年のジェフを振り返ります。

第1回:1993年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第2回:994年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第3回:1995年のジェフユナイテッド市原を振り返る

※多くの監督、選手が登場するため文中敬称略と致します。
※JリーグオフィシャルDVD/Blu-ray『JEF UNITED 30TH ANNIVERSARY 1946-1991-2021 J LEAGUE ALL GOALS』買ってね。

■1996年のジェフ

Jリーグは16クラブによる1ステージ制で開催。

新監督に奥寺康彦が就任。前年までのゼネラルマネージャー。
ブンデスリーガでプレーした初めての日本人選手。

サンフレッチェ広島から2年で30得点のイワン・ハシェックを獲得。城、ルーファー、マスロバル、ハシェックの黄金カルテット完成が期待される。

市立船橋から式田高義がジェフに入団。市立船橋からは93年の水野淳、94年の秋葉忠宏、95年の鈴木和裕、茶野隆行、森崎嘉之に続いて4年連続で卒業生がジェフに入団していた。

習志野高校からは廣山望がジェフに入団。1年目から21試合に出場するなど主力として活躍する。なお、4月には千葉大学に入学し、「国立大Jリーガー」として話題に(公文式のCMにも出演)。

この年以降、「ジェフユース」からトップへの供給が本格的にスタートする。2学年上のGK永田忍、DF鈴木秀生に続いて、96年には栗原克志がトップに昇格。

1996年の開幕スタメン
GK:下川健一(25)
DF:武藤真一(22)、サンドロ(22)、眞中幹夫(26)、鈴木和裕(19)
MF:藤川久孝(31)、式田高義(18)、ハシェック(32)、江尻篤彦(26)、中西永輔(22)
FW:ルーファー(33)

第1節、10番を付けたのは中西永輔。式田高義が高卒ルーキーで開幕スタメン。もはやジェフの伝統に。またこの日のベンチメンバーは、立石智紀(21)・山口智(17)・茶野隆行(19)・大塚真司(20)・廣山望(18)という現役の高校2年生までいる驚異の若さ。ただし、奥寺康彦の初陣はウノゼロ完封負け。

第2節、西京極での京都パープルサンガ戦、ワントップを務めたのは174センチのDFである中西永輔。その中西と武藤真一のゴールでシーズン初勝利を達成。

なお、この試合で山口智がJリーグ史上初となる現役高校生(17歳354日でのリーグ戦出場は当時最年少記録)でのプロデビュー。
山口智は中学卒業と同時に地元の高知県を離れて、1994年にジェフユース入団。この年に高校生ながら主にセンターハーフで12試合に出場すると、2001年にガンバ大阪にレンタル移籍(後に完全移籍)するまで128試合に出場し、2012年に12年ぶりのジェフ復帰を果たした。

第4節、96年最初の千葉ダービー。柏レイソルはカレカをシーズン初出場させるも江尻篤彦とマスロバルのゴールでジェフが快勝。

第7節、臨海でのジュビロ磐田戦で前半12分に武藤真一が退場。中西永輔とハシェックのゴールも4失点で敗戦。中山雅史、福西崇史、名波浩、そして久々にFW起用された磐田のサイドバック武田修宏がゴール。

第13節、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場でのセレッソ大阪戦、武藤真一と真中幹夫が退場処分、マノエルに2ゴールを許すも、城彰二、秋葉忠宏、そして終了間際のハシェックのゴールで競り勝つ。

イワン・ハシェックは176センチと大型ではなかったが、ポストプレーがうまく空中戦も強かった。何よりも高い得点能力を持っておりJ通算83試合42得点という驚異的なスコアを誇った。

第15節、城彰二とマスロバルのゴールで日本平での清水エスパルス戦を勝利で締めくくり、リーグは3ヶ月の中断期間へ。

中断期間中、フェイエノールトから元オランダ代表のピーター・ボスを獲得。ボスはユーロ92でベルカンプ、ライカールト、ファン・バステン、フリットらと共にベスト4に進出したオランダ代表メンバーの一人。
2017年には香川真司が所属するドルトムントの監督を務めたことでも話題になった。

7月20日からアトランタオリンピックのサッカー競技が開幕。日本はブラジルとハンガリーに勝利するも金メダル獲得のナイジェリアに敗れて予選リーグ敗退。ジェフからは秋葉忠宏、城彰二の2名が本戦出場を果たした。

第20節、中国地方唯一のサッカー専用スタジアムである鳥取市営サッカー場(現・とりぎんバードスタジアム)で行われたJリーグ史上3試合目となるサンフレッチェ広島戦。
高木琢也にハットトリックを達成されるも城、ルーファー(2得点)、ハシェックのエース揃い踏みで勝利。ハシェックは古巣相手に決勝点。

第27節、臨海での浦和レッズ戦は観客わずか8337人。トップリーグで人気クラブとの対戦でも観客動員は振るわず。試合は1-0で勝利(下記写真の1枚目)。4連敗中のチームを救ったのはやはりルーファーだった。

第29節、ホーム最終戦。ヴェルディ川崎相手に開始13秒で失点。そのゴールを決めた三浦知良はハットトリックを達成(スコアは1-5)。この試合で意地を見せたのは96シーズンでシステムの変更の煽りも受けてほとんど出場機会を失っていたルーファー。翌年からは母国のクラブチームでプレーするため、これがジェフでのラストゴールとなった。

第30節、この年限りで横浜マリノスへの移籍する城がジェフでのラストゴールを決めるもガンバの礒貝洋光とヒルハウスに決められ、チームは敗戦。

ラスト8試合で1勝7敗、成績不振から奥寺監督は1シーズン限りで退任。

この年のオフ、生え抜きの主力選手である城彰二の移籍に加え、ハシェック、ルーファーの新旧チーム得点王が退団と黄金のカルテットは未完成のまま解散。

さらに92年から5シーズンを過ごしたサンドロ、93年の開幕時からジェフ一筋でプレーした新村泰彦、真中幹夫、94年入団で城と同じアトランタ五輪代表の秋葉忠宏、ワールドユース代表の大塚真司が退団した。

GM、監督を過ごした奥寺康彦の時代が終わり、新GMにジェフの育成部長だった祖母井秀隆が就任し、新たな時代が始まる。

■1996年の記録

Jリーグ:9位
ナビスコカップ:予選リーグ敗退
天皇杯:3回戦敗退(初戦敗退)
サッカーマガジン選定MVP:ハシェック

1996年のベストメンバー
GK:下川健一
DF:武藤真一、眞中幹夫、サンドロ、中西永輔(茶野隆行)
MF:江尻篤彦、野々村芳和、ハシェック、マスロバル、廣山望
FW:城彰二

チーム得点ランキング(リーグ)
1.ハシェック 12得点
2.城彰二 9得点
3.中西永輔 5得点

Jリーグ開幕前から続いた「奥寺の時代」がこの年で終わりました。

獲得してくる外国人選手はいつも強力で、かつて奥寺さん自身が所属していた1.FCケルンやブレーメンに強いコネクションがあったのかも知れません。

それ以上にJリーグバブルの凄みを感じるのは、対戦相手の選手を見ていると大物ばかりであることなんですよね。

96年のクラブを順位ごとに見ても、鹿島にレオナルドやジョルジーニョ、名古屋にストイコビッチやデュリックス、横浜Fはエバイール、ジーニョ、サンパイオ、磐田にファネンブルグ、ドゥンガ、スキラッチ、柏にエジウソンとアントニオ(ザーゴ)、浦和にブッフバルト、ボリ(CL決勝点男)。

当時からJリーグに対して「リーグのレベルが低い」という声もありましたが、彼ら外国人選手を見ているとそんなことはないように思いますし、彼らがいたからこそ日本人選手(それを見ていた子どもたち)も成長していったのだと思います。
ジェフ在籍中に代表に召集されたマスロバル選手のような現役の代表選手が揃っているこの時代には不適切な言葉のようにも感じられます。

日本人選手の海外移籍が秋春制を導入せずとも達成出来ているように、純粋に日本人選手の実力も向上している今だからこそ、もっと大物外国人が見たい気持ちもありますし、選手個人個人はもちろんのこと、Jリーグ自体のレベルがもっともっと上がっていくことを願いたいです。

それでは、次回は1997年以降のジェフを振り返っていきたいと思います。さあ、ここから弱い時代(観客動員も少ない時代)が続きますよ。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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