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[クラブ史]1995年のジェフユナイテッド市原を振り返る

ジェフの歴史を振り返る企画の第3回目。

今ジェフでプレーする選手たちに注目がいくことは良いことですし、それも楽しいですが、過去を振り返り、当時の記憶を思い出したり、過去から何か学んだりすることも同じくらい楽しいことですよ。

そんなわけで、今回は1995年のジェフを振り返ります。

第1回:1993年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第2回:994年のジェフユナイテッド市原を振り返る

※多くの監督、選手が登場するため文中敬称略と致します。
※JリーグオフィシャルDVD/Blu-ray『JEF UNITED 30TH ANNIVERSARY 1946-1991-2021 J LEAGUE ALL GOALS』買ってね。

■1995年のジェフ

この年からジェフと柏レイソルによる千葉ダービーマッチ「ちばぎんカップ」がスタート。
また、ジェフリザーブズの前身となる市原スポーツクラブが発足。6月にはオフィシャル広報誌のUNITEDの第一号が発行された。

1995年のJリーグは年間52試合の2ステージ制。

1995年開幕戦のメンバー
GK:下川健一(24)
DF:中西永輔(21)、鈴木和裕(18)、眞中幹夫(25)、バシリエビッチ(29)
MF:後藤義一(31)、藤川久孝(30)、マスロバル(28)、江尻篤彦(27)
FW:ルーファー(32)、城彰二(19)

開幕戦、この日がジェフデビューとなったゴラン・バシリエビッチがゴール。ブルガリアのロコモティフ・ソフィアから獲得した「マザー」ことバシリエビッチはレッドスター・ベオグラードのキャプテンを務め、トヨタカップ優勝経験もある選手でこの年ジェフで32試合4得点の活躍。
この試合でもファネンブルグをリベロに置き、元イタリア代表スキラッチや黄金時代を築く磐田相手に1-0の完封勝利に貢献した。

この試合で森崎・茶野と共に市船トリオと呼ばれた鈴木和裕が高卒開幕スタメンを果たす。鈴木和裕はこの年33試合に出場するが、これがジェフでのキャリアハイとなった。

第3節、平塚戦で中西永輔がデビューから3年連続ゴール(以後2001年まで9年連続)、また同試合のロスタイムに中田英寿がJリーグデビューした。

第5節、Jリーグ史上初の千葉ダービーはバシリエビッチのVゴールでジェフが柏レイソルに勝利。
なお、この対戦は1993年に岩手で行われたプレシーズンマッチが史上初で同年10月にはナビスコカップでも対戦している。
以後、2006年に柏レイソルがJ2降格するまで毎年顔を合わせることになる(ちばぎんカップは現在まで継続中)。

第6節、臨海での清水エスパルス戦、トニーニョにゴールを許すもルーファー、江尻篤彦、城彰二のゴールで勝利する。城彰二の得点はJリーグ通算1500得点目の記念ゴールとなった。

4月13日にFIFAワールドユース選手権カタール大会が開幕。自国開催の1976年大会以来となる16年ぶり2度目のワールドユース出場となった日本代表メンバーにジェフからは秋葉忠宏、鈴木和裕、大塚真司の3名が選出され、ベスト8進出に貢献する。

第16節、秋田市営八橋陸上競技場で行われたホームゲームで下川健一が退場処分。中盤の後藤義一に代わって立石智紀が投入される。

立石智紀は堀越高校卒業後、1993年にジェフ入団。同年限りで引退した元日本代表の加藤好男に代わってセカンドGKとして95年には10試合に出場(7つ年上の岸本浩右とのセカンドGK争いに勝利)。

立石は10人となった劣勢の中、最後までゴールを守り切り、城彰二の先制点と江尻篤彦の決勝点で横浜マリノスに勝利(マリノスの得点者はダビド・ビスコンティ)。なお、立石が翌年以降ジェフで再び出場機会を得るのは2000年まで待つこととなるが晩年の活躍でその名はジェフサポーターの心に深く刻まれる。

第17節、敵地での千葉ダービー。ミューレルの退団が決まったものの、カレカの復帰という追い風があった柏だが、ジェフがルーファー、江尻篤彦、バシリエビッチのゴールで快勝し3連勝。

第24節、新村泰彦が敵地万博でハットトリックを達成。マスロバルやルーファーのゴールもあり、ガンバ大阪相手に夢のスコアを達成する。

第25節、ホーム臨海で「天敵」名古屋グランパスエイトの森山泰行にハットトリックを許し、デュリックスと岡山哲也のゴールもあって夢のスコアを達成される。

サントリーシリーズは14勝12敗の6位。

Kodakオールスターサッカー、ジェイ・ヴェガで出場したジェフの城彰二が先制の2得点。4-0でジェイ・アルタイルに圧勝。前年にも敢闘賞を獲得していた城がMVPに輝く。また3年連続出場の中西永輔は98~03年にも6年連続出場で、三浦知良、川口能活と並んで歴代最多タイ(9回)のオールスター出場を果たす。

ニコスシリーズ開幕。

第4節、ここまで15連勝中のヴェルディ川崎相手に下川健一がPKストップ、新村泰彦の2ゴールと城彰二のゴールで勝利。サントリーシリーズでは負傷で出遅れ、リーグで10試合ゴールがなかった城彰二だが、これで開幕戦から4試合4ゴール。オールスターからの好調をキープ。

第7節、68分までホームのセレッソ大阪に0-3とリードされた試合をルーファーの2ゴールで追い上げると城彰二が同点弾、後藤義一が決勝点でドラマチックな逆転劇。

第14節、またも名古屋に夢のスコアを達成される。ストイコビッチ、小倉隆史がそれぞれ2得点、平山大が1得点。ジェフは前節に中山雅史、前々節にはメディナベージョにそれぞれ2点決められており、16節まで5連敗を喫する。

第17節、横浜フリューゲルス相手に6得点し連敗ストップ。中西永輔、マスロバルの2ゴールとジーニョ、エバイールの2ゴールで同点の試合をルーファーのハットトリックで勝ち越す。
この試合、ルーファーがコンタクトレンズを落としてみんなで探すも見つからないという珍事が発生した。

第20節、ホーム臨海でのサンフレッチェ広島戦、上村健一と廬延潤にゴールを許すも、またしてもルーファーがハットトリック。マスロバルの決勝点もあって4-2で勝利。ルーファーは4試合連続ゴールでチームは4連勝。

この年ヴェルダー・ブレーメンから新加入のウィントン・ルーファー(通称:キーウィ)はニュージーランド代表のストライカー。
ブレーメン時代はブンデスリーガ制覇と最優秀外国人選手に選出された経験を持つ(通算174試合59得点)。ニュージーランドサッカー史上最高の選手であり、20世紀のオセアニア最優秀選手。
18歳でフル代表デビューをし、82年のワールドカップアジア最終予選ではアウェーのサウジアラビア戦で2得点、中国とのプレーオフでも決勝点とワールドカップ初出場の立役者になった(代表通算38試合17得点)。

この年、ルーファーがリーグで得点を決めた試合では11勝4敗。
天皇杯を合わせると40試合22得点と入団一年目からエース級の働きでパベルとオッツェというレジェンド級のストライカーの不在を感じさせなかった。

第23節、臨海でのベルマーレ平塚戦でベッチーニョにハットトリックを許す。ジュニオールにも決められて4失点で、江尻篤彦とルーファーのゴールも届かず。しかし、この試合で江尻篤彦がJリーグ通算2500点目となる記念ゴールを達成。

第24節、三ッ沢での横浜マリノス戦は前半に上野良治のゴールでこの年のチャンピオンにリードされるも、51分の後藤義一の同点ゴールを皮切りに3分後にマスロバル、その9分後に秋葉忠宏が決めて勢いに乗り、終盤にマスロバル、城彰二のゴールで後半だけで5得点の大逆転劇。連敗を3で止める。

第26節、万博で行われたガンバ大阪とのリーグ最終戦は後藤義一のゴールでPK戦の末、勝利(ガンバの得点者は今藤幸治)。

ジェフは3連勝でシーズンを締めくくり、マスロバルが95年シーズンでフィールドプレーヤーとしては唯一となる全試合全時間出場を達成した。

ニコスシリーズは14勝12敗で7位、52試合の長丁場を28勝24敗で14チーム中5位と躍進した。

オフに古河時代から長年クラブを支えた越後和男や後藤義一、宮澤浩や山本健二、五十嵐和也に加え、申在範、バシリエビッチが退団、屈強ながらクレバーなリベロとして活躍した宮澤ミッシェルが現役引退。

■1995年の記録

Jリーグ:1st 6位/2nd 7位
ナビスコカップ:開催なし
天皇杯:1回戦敗退
サッカーマガジン選定MVP:マスロバル

1995年のベストメンバー
GK:下川健一
DF:鈴木和裕、眞中幹夫、バシリエビッチ(サンドロ)、中西永輔(茶野隆行)
MF:秋葉忠宏、後藤義一、江尻篤彦、マスロバル
FW:ルーファー、城彰二

チーム得点ランキング(リーグ)
1.ルーファー 21得点
2.マスロバル 16得点
3.城彰二 14得点

ルーファーと城の強力ツートップを形成したジェフですが、前年に退団したリトバルスキーに代わってこの年からチームの王様になったのが「マキ」ことマスロバルだったと思っています。
東欧出身の左利きのマジシャンは、キック精度と技術はもちろん誰にも負けない頑丈さを持っていました。

また「ミスタージェフ」こと江尻篤彦はこの年に13得点を記録。運動量がないマスロバルの分も左ボランチの江尻がよく走っていたことが印象的で、ジェフの20周年記念番組では、野々村芳和に「左はマスロバルと武藤真一で全然動かないから大変だった」と愚痴っていたのが思い出深いです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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