見出し画像

[クラブ史]1993年のジェフユナイテッド市原を振り返る

【本記事は10年前に書いたブログ記事の復元です】

古河電気工業サッカー部を前身としたジェフユナイテッド市原・千葉は、1991年6月にJR東日本および古河電工の共同出資による(株)東日本ジェイアール古河サッカークラブ(チーム名:東日本JR古河サッカークラブ)として誕生し、2021年にチーム創設30周年を迎えました。

そこで、ジェフの歴史を振り返る企画をスタートしてみます。
過去のスタメンやリーグ戦の模様を簡単にではありますが振り返ることで、もっとジェフを知ってジェフを好きになるきっかけになれば幸いです。

そんなわけで、初回の本記事では1993年のジェフのシステム・スターティングメンバーやベストメンバー、戦いの歴史を振り返ります。

※多くの監督、選手が登場するため文中敬称略と致します。
※JリーグオフィシャルDVD/Blu-ray『JEF UNITED 30TH ANNIVERSARY 1946-1991-2021 J LEAGUE ALL GOALS』買ってね。

■1993年のジェフ

1993年5月16日に行われたJリーグ開幕戦。

スタジアムは広島県総合グランドメインスタジアム(当時)、対戦相手はサンフレッチェ広島で結果は1-2の敗戦(広島の得点者は風間八宏、小島光顕)。

Jリーグ開幕戦のメンバー
GK:下川健一(23)
DF:阪倉裕二(25)、宮澤浩(22)、吉田暢(27)
MF:木澤正徳(23)、中西永輔(19)、フランタ(27)、リトバルスキー(33)、江尻篤彦(25)
FW:パベル(29)、新村泰彦(23)

ジェフのJリーグでのクラブ初ゴールは67分に生まれたパベル・ジェハークのゴール。

パベルはこの年リーグ31試合16得点(ナビスコ、天皇杯でもそれぞれ3得点)。前身の古河ではクラブ史上初の外国人選手であり、Jリーグ初となるレッドカード(相手選手に肘打ちで一発退場)を提示された。「JEF」マーク入りのスキンヘッド姿で試合出場したこともあるナイスガイだ。

Jリーグ元年のジェフ初代監督は永井良和、コーチには岡田武史(どちらも古河OB)。

オフにワールドカップ優勝経験(3度のファイナリスト)も持つ元ドイツ代表ピエール・リトバルスキーを1.FCケルンから獲得した。

第2節、ホーム開幕戦は国立競技場でヴェルディ川崎に2-1でクラブとしてJリーグ初勝利。得点はリトバルスキーの直接FKと佐々木雅尚の決勝点(川崎の得点者は北澤豪)。

国際Aマッチに20試合出場している佐々木雅尚だが、このゴールがJリーグでキャリア唯一のゴール。また、この試合の観客動員数は46,959人だった。

第5節、横浜マリノスのホームゲーム(三ツ沢)で5-0の大勝。夢のスコア初体験。チームは4連勝。

ゴールは影山雅永、井原正巳のオウンゴール、パベル、江尻篤彦、リトバルスキー(直接FK)。

第7節、市原臨海競技場の柿落としとなった清水エスパルス戦は雨天のVゴール負け(得点者は清水の長谷川健太)。

ジェフの市原臨海初ゴールは初代ミスタージェフ、江尻篤彦。

清水商業高校で主将として真田雅則らと共に選手権制覇。明治大学を経て1990年の入団からジェフ一筋で引退までプレーし、ジェフの左サイドと背番号11は常に彼の居場所であった。

第9節、北海道で初のJリーグ試合開催(札幌厚別)、ホームのジェフが3-1で名古屋グランパスエイトに快勝(得点者は新村泰彦、江尻篤彦、パベル)。

第12節、駒場での浦和レッズ戦、パベルがハットトリックを達成するも下川健一が右膝靭帯損傷で離脱し、その後チームは3連敗。

第16節、ホーム臨海での横浜フリューゲルス戦で、クラブ史上初の延長Vゴール勝利(得点者はパベル)。連敗ストップ。

9勝9敗の5位でサントリーシリーズを終える。

オフの間にリトバルスキーと同じ1.FCケルンから、ブレーメン時代にブンデスリーガ制覇、前年に30試合9得点(その前の年は35試合11得点)のフランク・オルデネビッツ(愛称オッツェ)を獲得。

迎えたニコスシリーズ。

開幕戦、ホームの市原臨海で清水エスパルス相手に白星スタート。越後和男の先制ゴールを守り切る。

第3節、市原臨海で名古屋グランパスエイト相手に過去最多の5ゴールを叩きだして開幕3連勝。後藤義一の先制点を皮切りにパベルとオッツェがそれぞれ2得点。Jリーグ屈指のツートップが完成。

第11節、5連敗で迎えた県営草薙陸上競技場での清水エスパルス戦でクラブ史上初のリーグ戦PK戦勝利(GKは加藤好男、5人目のキッカーは江尻篤彦)。

高校時代に四日市中央工業高校で選手権制覇を成し遂げジェフに入団した中西永輔はこの年にリーグ戦デビュー。この試合でジェフ入団後初得点を記録すると、以後長きに渡ってジェフを牽引し、ミスタージェフと呼ばれるまでに成長することになる。

第14節、市原臨海でのガンバ大阪戦、強力なツートップであるオッツェの2得点、パベルの1得点も礒貝洋光、そして高卒新人でジェフもオファーを出していた松波正信のハットトリックでVゴール負け。

松波正信はこの時、18歳(364日)。彼のJ1リーグ最年少ハットトリック記録は2021年まで誰にも破られていない。

第18節、3試合連続完封負けの6連敗で迎えた93年のリーグ最終戦は、以後「天敵」となる名古屋グランパスエイトに瑞穂で0-6の惨敗(得点者は平野孝2、森山泰行、森直樹、ジョルジーニョ、エリベウトン)。

クラブワーストの7連敗でシーズン閉幕。このワースト記録は2021年現在でも破られていない。

ニコスシリーズの結果は5勝13敗の9位。

■1993年の記録

Jリーグ:1st 5位/2nd 9位
ナビスコカップ:予選敗退
天皇杯:ベスト8
サッカーマガジン選定MVP:リトバルスキー

1993年のベストメンバー
GK:加藤好男
DF:影山雅永、阪倉裕二、宮澤ミッシェル
MF:吉田暢、越後和男、中西永輔、江尻篤彦、リトバルスキー
FW:パベル、新村泰彦

チーム得点ランキング(リーグ)
1.パベル 16得点
2.リトバルスキー 9得点
3.オッツェ 7得点

当時のジェフは良くも悪くもリトバルスキーのチームでした。
報道での取り上げ方もそうですし、でんぐり返りを発明したファンサービス、プロ意識、経験や人望という面も含めて、彼がクラブに残したものは実績以上のものがあります。

93年のジェフは実績充分の外国籍選手がチームをリードするチームであり、その伝統はいずれマスロバルが引き継ぐこととなります。

しかし、その中にあって92年入団の中西永輔や武藤真一、眞中幹夫、93年入団の立石智紀といった「ジェフ」の生え抜きたちが台頭することで、新しい歴史を作っていくことになりました。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?