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[クラブ史]1997年のジェフユナイテッド市原を振り返る

【本記事は10年前に書いたブログ記事の復元です】

ジェフの歴史を振り返る企画の第5回目。

今ジェフでプレーする選手たちに注目がいくことは良いことですし、それも楽しいですが、過去を振り返り、当時の記憶を思い出したり、過去から何か学んだりすることも同じくらい楽しいことですよ。

そんなわけで、今回は1997年のジェフを振り返ります。

第1回:1993年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第2回:994年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第3回:1995年のジェフユナイテッド市原を振り返る
第4回:1996年のジェフユナイテッド市原を振り返る

※多くの監督、選手が登場するため文中敬称略と致します。
※JリーグオフィシャルDVD/Blu-ray『JEF UNITED 30TH ANNIVERSARY 1946-1991-2021 J LEAGUE ALL GOALS』買ってね。

■1997年のジェフ

97年のJリーグは2ステージ制、固定背番号導入。
ヴィッセル神戸を加え、全17チームによる変則開催。

ジェフは祖母井秀隆GMの元、欧州路線を進むこととなり、新監督にはオランダ最高の育成コーチと呼ばれたヤン・フェルシュライエン。

以後、12年に渡って欧州の監督がジェフを指揮することとなる。

オフの間にJFL東京ガスから浮氣哲郎、福井県立丸岡高から鷲田雅一、清水商業から薬師寺直樹、帝京三高から中山誠らを獲得するも彼らの出場機会は少なかった。ユースからは井上公平、八津川義廣、松本修、山口智の4名が昇格。

また、ジェフィ&ユニティの名称がこの年の4月に決定した。

1997年開幕戦のメンバー
GK:下川健一(26)
DF:武藤真一(23)、山口智(18)、中西永輔(23)、鈴木和裕(20)
MF:ピーター ボス(34)、野々村芳和(24)、江尻篤彦(29)、マスロバル(30)、ラデ(26)
FW:松原良香(22)

1stステージ開幕戦。
この年のジェフの持ち味となる下川健一を中心とした堅い守備からのカウンターで中西永輔、そして移籍した城彰二の代役として獲得したアトランタ五輪代表の松原良香のゴールでヴェルディ川崎に敵地で快勝。

第2節、川淵チェアマン自ら観戦に訪れたホーム開幕戦。しかし観客動員数は3057人と、Jリーグワースト記録。
試合も松原良香、武藤真一がゴールを決めるも京都パープルサンガ相手に4失点(カルロス、藤吉信次×2、永田崇)で早くも守備が崩壊。

第3節、クラブ史上初の「試合なし」。

第5節、ホームゲームで横浜マリノスに移籍した城彰二にゴールを許すなどして1-2で敗戦(決勝点は山田隆裕)。この試合で浦項スティーラースから新加入のラデ・ボグダノビッチが移籍後初ゴール。
 ※蛇足ながら私の臨海デビュー戦です。

ラデは前年39試合13得点(通算147試合55得点)でKリーグ得点王に輝いたセルビア出身のストライカー(当時27歳)。
ユーゴスラビアの各年代の代表選手であり、A代表では3試合2得点。

マスロバルと同じく守備には興味を示さないものの、185センチの高さと柔らかなテクニック、さらには「バルカン超特急」と呼ばれたスピードとフィジカルに長けた縦への突破でジェフの新エースに定着。

アヤックスとの争奪戦に一度は敗れたものの、アヤックスの監督交代の煽りを受けてキャンプ中に退団しジェフに入団。ゴールを量産するたびにユニフォームを頭にかぶって飛行機ポーズを披露した。
 ※この年は定番となっていた中西永輔のバク宙、松原良香のムカデなど、ゴールパフォーマンスが充実していた年でした。

第7節、市原臨海でのサンフレッチェ広島戦で観客動員2245人で過去最低記録を更新。試合は市原ユース所属の高校3年生、酒井友之のJリーグ初ゴール、ラデの3試合連続ゴール、マスロバルのVゴールでジェフが勝利(広島の得点者は廬延潤、久保竜彦)。

酒井友之のゴールは17歳10ヶ月8日で当時のクラブ最年少記録。
2021年にブワニカ啓太が18歳2ヶ月12日での得点で話題になったが、それを上回るスピード記録だった。

第10節、松原良香が退場処分になるも、江尻篤彦、ラデ、そしてボスのVゴールで勝利。しかし、退場処分に激昂した松原が、雨天練習場と更衣室のガラス戸を蹴破り破損させ、6試合出場停止処分。

松原良香の出場停止により、城彰二や新村泰彦の退団、それに次期エースとして期待された森崎嘉之を前年に戦力外としていたジェフはFW不足に陥る。

以後11節から16節までの得点者はラデ(7試合4得点)のみでチームはその間1勝5敗。大卒ルーキーの杉山貴之や高卒ルーキーの松下直樹(どちらもMF)を最前線でプレーさせるも効果は出ず。Jリーグ開幕当初からFW王国だったはずのジェフは深刻な状況を迎えていた。

6月にFIFAワールドユース選手権カタール大会が開催。ジェフからは山口智と廣山望が本大会のメンバー入り。日本代表はベスト8。

第17節、1stステージ最終戦でジェフユース出身1年目の井上公平がホーム市原臨海でプロ入りゴール。しかし、ガンバ大阪のクルプニ(クルプニコビッチ)の2ゴールとエムボマのゴールで敗戦。

当時、右の栗原、左の井上、さらに山口智や現役高校生の酒井友之と多くのユース出身(もしくは在籍)者がジェフのトップチームでプレーした。この傾向は翌年以降さらに加速していくことになる。
なお、この試合でヨジップ・クゼ監督が判定への執拗な抗議でシーズン2度目の退席処分を受けた。

ジェフは1stステージ5勝11敗の15位。

2ndステージ開幕前にカップ戦含め22試合16得点(ユーゴスラビア代表にも選出)のラデがアトレティコ・マドリードに引き抜かれる。

アヤックスから「白いソクラテス」ことアーノルド・スコルテンを獲得(前年28試合2得点)。

スコルテンはアヤックスとフェイエノールトでそれぞれ6シーズン(重複あり)を過ごし、自身キャリア初の海外移籍。186センチの身長でありながらクレバーで戦術理解に優れた選手としてセンターハーフやリベロとして活躍した(ジェフ通算45試合2得点)。

第3節、鹿児島県立鴨池陸上競技場で行われた京都パープルサンガのホームゲーム、廣山望のVゴールで勝利し開幕3連勝。この試合2得点のマスロバルは開幕3試合で4得点。

第6節、三ツ沢で行われた横浜マリノス戦で城彰二にVゴールを決められ敗戦(スコアは1-2 ゴールは酒井友之)。

第9節、市原臨海でのアビスパ福岡戦で山口智がJリーグ初ゴール。試合は松原良香の決勝点で勝利し、連敗を4で止める。

第12節、テクノポート福井スタジアムで開催されたホームゲームでヴィッセル神戸の永島昭浩にハットトリックを許し、安藤優子さんもびっくり。
試合はマスロバル、野々村芳和、ボスのゴールで追いつくも松岡良彦のVゴールで敗戦。

マスロバルはこの年、チームトップスコアラーとなる9得点。
この年から導入された固定背番号制でジェフの初代「10番」を背負いプレーして、4年半で128試合41得点。特にセットプレーはジェフ歴代最高の精度だった。通称「マキ」は将来ジェフのエースになる男と同じ呼び名で、その後の東欧出身Jリーガーの先駆けとなった。 

第16節、ホーム市原臨海でジュビロ磐田に夢のスコア(奥大介×2、アレサンドロ、藤田俊哉、ドゥンガ)で破れ、目前で優勝を決められる。

2ndステージは6勝10敗の14位。

1997年からリーグの総観客動員、平均観客動員が激しく落ち込むことになるが、ジェフの観客動員はリーグ最下位。
この不名誉な記録は2005年までの9年間続くことになる。

■1997年の記録

Jリーグ:1st 15位/2nd 14位
ナビスコカップ:ベスト8
天皇杯:ベスト16
サッカーマガジン選定MVP:下川健一

1997年のベストメンバー
GK:下川健一
DF:武藤真一、鈴木和裕、山口智、中西永輔
MF:ボス、野々村芳和、江尻篤彦、マスロバル、ラデ(廣山望)
FW:松原良香

チーム得点ランキング(リーグ)
1.マスロバル 9得点
2.ラデ 8得点
  松原良香 8得点
4.中西永輔 4得点

個人的に「ジェフをスタジアムで見た」年ということもあって、97年からは思い入れが強く、好きなというよりも憧れた選手たちでいっぱいです(一番好きだったラデ選手はすぐにいなくなりました)。

チームは弱かったけれど、残留争いの中の臨海の雰囲気は良い意味でギスギスしていて、殺伐とした中で人数は少ないながらもそこには「熱」がありました。

ほんわかしたフクアリの雰囲気も良いですが、当時の「絶対に選手を甘やかさないんだ」という臨海の雰囲気をもう一度味わってみたいと思うこともあります(残留争いはごめんですが)。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。


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