三月生まれ

世俗の賛歌

三月生まれ

世俗の賛歌

最近の記事

それでもなお

結構遅くまで残業した帰り、電車の時間が中途半端にあるので軽い食事とビールを一杯やっつけることにした。平日だが、駅直結の商業ビルで23時までやっているこの店は重宝されているのだろう、そこそこ混んでいた。 ビールを頼み、突き出しのナッツを摘みながらTwitter(現X)を眺めていると、向かいのテーブルでおじさんが二回連続で盛大なくしゃみをした。結構なお手前だなと思っていたが、その後もくしゃみはさらに続く。テーブルの同僚と思しきおじさんたちは、それを見てゲラゲラ笑っている。 くし

    • 世俗の賛歌

      あんなに煩かった蝉が、もうほとんど鳴かなくなっている。 新型コロナウィルス感染拡大の影響で生活が変わってから、半年がすぎた。今のところ直接の知り合いが感染したり、身近で重篤な状態に陥ったという話は聞かない。どこか現実味のないまま、職場でも私生活でも感染防止の対策をとりつつ、不自由に感じながらもそれが当たり前になってきている。この生活が、「ニューノーマル」ということなのだろう。 一方で、破滅というのはこんなふうに少しずつ日常がかけていくことなのかもしれないと感じるようになっ

      • 月夜に思い出してみて

        最近では夕立のような雨が毎日降るようになり、空気が洗われるせいか夜になると月や星がきれいに見えるようになっている。先週は満月だったため月が大きくあたりを照らしていて、その明るさにちょっとワクワクしてしていた。 ところで、月夜といえば思わず口ずさんでしまうのが、 「つ、つ、月夜だ、みーんな出て来い来い来い♪」 というあの証城寺の狸囃子だ。 「おいらのともだちぁ ぽんぽこぽんの ぽん♪」 というお馴染みの愉快な歌詞が続くのだが、 ちょっとまって、なんでたぬきってポンポコポンなの

        • 繋ぐな。

          居酒屋でビールのお供に合鴨スモークを頼んだんだが、ふと「合鴨」ってどういう鴨だ?と思いググってみた。 合鴨とはマガモに限りなく近く、またアヒルも同様である、ということのようだ。なんとなく、茶色いのがカモで白いのがアヒルくらいな認識をしていたが、別にそういうわけですらなく、強いていえば大きさが違う(合鴨の方が小さい)だけらしい。つまり、  (マガモ+アヒル)÷2=アイガモ であると同時に、  マガモ≒アヒル≒合鴨 という図式が成立するくらいの関係だと思って良いだろう。 こう

        それでもなお

          幸いなるかな

          昨日、同僚たちと談笑していたら、呼び止められて、 「日曜日、お誕生日ですよね。おめでとうございます。」 と言われた。 周囲が「え、そうなん?」「へー」「なんでお前知ってんの」と言うなか、 「ボクの誕生日の時、おめでとうって言ってもらったんで。嬉しかったから、ボクも言おうと思ってたんです。」 とのこと。 そんなこともあったのかな、と思ったけど、自分の何気ない言葉に彼が喜んでくれて、そんなふうに私の誕生日を調べて言おうと待ち構えてくれてたのかと、驚いたし嬉しかった。 弊社は毎

          幸いなるかな

          観自在

          先月の春節に入る前、新型コロナウィルス肺炎のニュースが日本にも深刻さを伴って伝わるようになった頃、武漢の都市が閉鎖となり住民の出入りが制限されたとの報道があった。 朝のオフィスで、各チームが朝の打ち合わせをしていた際、そのことが話題に上った。さすが中国、一党独裁制国家はやることが違う、でもこの状況ならそんな措置も致し方ないのかもしれない、自体はそれほど深刻なのか、と私を含めた皆それぞれ「うわぁ」とうめいたが、その中で 「そんなん、かわいそうや。」 と呟く声がはっきり聞こえ

          存在の地平に並ぶものたち

          そもそも生きている人間に生産性とか意味とか言いだしたら、誰しも存在そのものにはどんな意味もないわけだから、生まれたからには死ぬまで生きなければいけないというただそれだけのことだ。 特に意味もなく存在している人間の総体として営まれている社会なんてものはそもそも不完全でなので、彼が考えるほど繊細でも脆くもない。「社会の負担になる」なんて、そんな余計な心配をしなくていい。 そんなに弱くないのだ、我々は。 この植松被告というひとは、存在というものに期待しすぎているのではないだろうか

          存在の地平に並ぶものたち