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世俗の賛歌

あんなに煩かった蝉が、もうほとんど鳴かなくなっている。

新型コロナウィルス感染拡大の影響で生活が変わってから、半年がすぎた。今のところ直接の知り合いが感染したり、身近で重篤な状態に陥ったという話は聞かない。どこか現実味のないまま、職場でも私生活でも感染防止の対策をとりつつ、不自由に感じながらもそれが当たり前になってきている。この生活が、「ニューノーマル」ということなのだろう。

一方で、破滅というのはこんなふうに少しずつ日常がかけていくことなのかもしれないと感じるようになった。この「当たり前になること」の繰り返しは、この場合連続的な喪失だ。ある時、その失われたものの総量に気づき呆然とするのかもしれない。引き換えに得るものは、あるのだろうか。
それでも、目に映る小さなものを慈しむような日常の視点に触れる機会を多く持つことで、この世界の健やかさとしなやかな強さを改めて知ることが出来る。ここに立ち返ることを忘れてはいけないと思う。そういったものは概ね自分の内から湧き出るのではなく他者からもたらされることを、忘れてはならない。

悲観の淵を覗き込む誘惑に抗うのだ。
不毛な精神の快楽に溺れ費やすには、生は短い。そして、簡単に奪われるものなのだ。

今年一年は、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』を歌う予定になっている。しかしながら、既に半年が過ぎたがいまだ冒頭の一曲目(であり終曲)しか歌えていない。
とはいえ、絶望を差し出すような壮麗な始まりにテンションは上がる。バッハなどのような複雑な音階はないものの、歌詞がラテン語ではあるがこれまで幾度となく歌ってきたミサ曲の定型句とは全く別物の、世俗的な詩である。一から覚えなければいけない。

世俗の賛歌『カルミナ・ブラーナ』
おおフォルトゥルーナ 運命の女神よ
移ろう月の如く 汝は常に満ち欠けを繰り返す
情け容赦無い忌むべき世界 感情のおもむくがままに
競争 貧困 権力 氷の如く溶けていく
破滅 粗暴 虚無 揺れ動き定まることなし
恩恵なきままに消え行くのみ
影に潜みベールに覆われ 重く圧し掛かり来る汝の邪なる戯れに
今や顕わなる背後を晒すのみ
繁栄と美徳は我が身には遠く 運命の為せる業にただ従うのみ
今こそ弦を鳴らせ!
幸運により刺客は滅ぼされん 皆で哀歌を歌い上げるのだ!

「運命の女神」という、抽象概念の擬人化に基づく描写が興味深い。

「今こそ弦を鳴らせ。」
これは警句だ。

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