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 長く子どもたちの発達をサポートしていると
その子たちは必然的に大人になっていく。

どんな大人になると良いのか?
全ての人の具体的にイメージする姿は違えども
その子たちが広い世界で、いろんな経験ができて
自分が幸せだと感じる生き方ができると良いな~と願い
子どもたちの発達、成長を援助しているのではないかと思う。

時には親にとって
本当に大変な毎日であったりするだろうが、
全て子どもが健やかに育ち、
未来を拓いていくために
大変ではあるが、子育て、教育を行っていくのだろうと思う。

その結果、彼らは、支援級から普通級に変わることができたり、
通常の学校へ進学することができていく。
その後も大学に進む子
専門学校へ進む子と人生を歩んでいくのです。

ところが、学生であることが終わりに近づいた頃から
彼らは急に、また「障害受容」と言う選択肢を突きつけられる。
「障害者雇用枠」や「障害」を盾に生きていくことの選択を
強いられるのだ。

もちろんたとえ、周りのそのような指示に従ったとしても
決して彼らに有利な環境が用意されているわけでもなく
結局、また振りだしに戻されるのだけなのだが。

この現実は到底受け入れることなどできない。

どんなに素晴らしく発達、成長したとしても
気になる発達上の問題が顕著であったなら、
どんなに素晴らしい個性や才能を持っていても
活かせる現場がないのだ。

と言うよりその子の個性を活かす環境を見つける努力や
その雇用を作り出す工夫まではほとんどのところはしてくれないのだ。
国が援助する施策はせいぜいその程度なのだ。

障害者ばかりを集めたA型就労支援事業はどんどんなくなっていき、
B型ばかりが増え続ける。
保護者もそれでも仕方がない、
受け入れてもらえるところがあるだけでもマシだと思っている。
もちろん、そういう場も必要なことはわかっている。
けれど、一生懸命親子で努力をし、
適切な教育環境を整備して育て、
頑張ってきた我が子が
その力を発揮する場が夜の中には無いことを知ったなら、
どうすれば良いのだろうか?

今までの苦労は全て無駄なのか?
彼らの生きる道をどう拓き、導いてあげると良いのか?
単に仕事をあてがうと言うことではなく
私たち同様労働をお金に換え
そのお金で幸せに暮らしていくことができる環境はどこにあるのだろうか?
個性の違いをお互いに認め合い、助け合い、
そして、経済活動もできる。
そんな環境を作り出すことはできないのだろうか?

今はただ、目の前にいる悩める若者をどのように育てていくか?を
模索しながら私たちのように大人になっても彼らが学ぶことができる環境を作り出して行こうと思うのだ。

努力がきっと実を結び、
奇跡をもたらすことができるのだと
胸を張って言えるような経験を
今まで以上に私自身していかなければならないのだ。
若者たちと共に。


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