見出し画像

青年らしき人からの電話『納得がいかないんです。医者の診断に』

しばらくぶりにホームページを新しくして、色々記事書いたりしてみたら、電話がかかってきました。
突然、本当は私のところが提供しているサポートサービスを利用したいと言うことだったのだけれど、理由があって今回は断念された。

でも、とりあえず電話がかかって来た時に事情をお聞きした。

精神疾患に陥り、通院している。
その様な状態になったのには元々『発達障害』を持っていたからだろう。と言われた。
納得がいかないんです。
『発達障害』って一体なんなんでしょうか?


ずっとこの問題に向き合って来て、思うことがあります。
それは、今も昔も変わりありません。
他の人の意見はどうであれ、私はこう思って子たちの発達をサポートしてきて、間違いは無いと思っています。

『発達障害』と言う言葉自体は何物でもありません。

実態はありません。
自閉症やADHDとか学習障害とかって言うなら別です。
そうであっても、様態は発達過程にある年代なら変容していきます。

『発達障害』は便利な言葉としてよくわからない人が何か理由を付けないといけない時に使う言葉の総称です。

よくあるストレス性の難聴です!
とか
自律神経が乱れています!
とか
簡単に言うのに似ています。

今は、精神的な落ち込みや生きづらさがあって状態が悪化したら、
お医者様は万能の言葉『発達障害』を使うことが多いのではないでしょうか。
もともとあなたには「発達障害」があったのでしょう。って。
本当にそうなのかどうか?は子どもの頃の状態を周りの保護者や友達なんかにヒアリングしないと見えてこないでしょう?
そんな簡単に「発達障害」を口にしないでほしい。
それは、医者でなくても簡単に言える
魔法の言葉「ストレス」と同じようにストレスが過度にかかって自律神経乱れています。とか
難聴になっているのでしょう。って。
ほんまかいな?
正しいかどうかを証明できないから言われるがままになっているけど、
そんな素人判断で仕事が済むならうらやましい。
専門家と言う人たちが発する無責任な無知から発する言葉が
どれだけの親子や人を苦しめているのか想像すらしないでしょう。
だから、来る日も来る日も変わりない診断と手立ての無い治療法に
様子を見ましょう。
また、半年後に来てください。ってな言葉になるのでしょう。
その半年が子どもにとって貴重な半年であるにも関わらず・・・。

専門家たちは都合の良い言葉を使って対処する

話がそれたついでに書くけれど、
若者たちが私のところに相談に来るときは
専門家たちに見放されてしまっている場合も少なくない。
ちょっとやそっとのありきたりの努力ではどうにもならないそんな悩みを抱えて医療の専門家や支援者と言う人のところに行く。
すがる思いで行く。
半端ない睡眠障害やほかの問題を抱えていて
いろんなところに相談に行っても
素人が考えるようなアドバイスしかもらえないことも決して少なくないのです。
寝る前には部屋を暗くして眠りに落ちやすい音楽かけて・・・
とかなんとか
結局は睡眠薬で眠りましょう。とくる。
薬を飲みたくないからどうすればいいですか?と相談に来る。
薬を飲んだら、今度は起きれなくなったり、
その後からだがだるくて何もできないのだ・・・と悩んでいるのです。


他にも彼らが抱える問題にはいろいろあります。
そんな彼らが医療を頼ってきているのに、
その医療は全く持って彼らに寄り添おうとはしないのです。

話を元に戻しますと
「発達障害」というものは何物でもありません。

それは、ある日突然現れることは無いのです。
育ちが未熟な時に必ず保護者や周りの大人が感じる子どもの発達凸凹から来る『困り』です。



そして、それはずっと同じ状態ではありません。
発達過程において大きく変容していきます。
子どもたちは、個性として生きづらさや学びづらさを捉え、
自分らしさを強みに生きていくことができるようになっていきます。
そうするためには、どうすればいいかの答えを持っている支援者のところへ相談に行ってください。
「発達障害」という言葉に囚われている支援者のところに行ってもいけません。
その限られた枠の中の事しか知りませんし、目の前の子どもや人を見て柔軟にサポートを変えることが出来る支援者は少ないです。
その子に本当に必要なことを見つけ出してくれる支援者は少ないです。
なぜなら、子どもたちが育った時の将来の姿を知らないからです。
想像できないからです。

なんども言います。
「発達障害」は何物でもありません。
世の中で「発達障害」というレッテルを張ってもらえないと
利用できないサービスを受けるための便宜上の名前です。
それをうまく使うかどうかはその人や子どもの家族が考えればよいことなのです。
決して、他人に言われてすることではありません。

何度も言います。
「発達障害」と言うのは何物でもありません。
無くしてしまって良い言葉です。
無くなっても具体的な困りを表現する障害名は存在します。
「発達障害」なんて言葉は以前は無かったのだから、
これから先に無くなってもどうってことは無い気がします。

子どもたちは「発達障害」の枠を超えて素晴らしく発達成長する可能性を持っています。
その枠組みしか見ない人に子どもの発達のサポートはできません。

そんな風にいつも思っています。
だから、サポーターのエキスパートとして自分自身の人間的な成長も大切だと思っています。
努力しながら、常に子どもたちや若者の発達を探求しています。

この記事が参加している募集

#多様性を考える

27,804件

個性といういろんな色がいろんな形で彩っていく美しい社会の実現を目指し 活動しています。 どうか応援、サポートお願いします。 今は、奈良の限界集落の地域おこし、オルターナティブスクールの創設、 組織内のダイバーシティ化推進を目標にがむしゃらに頑張っています!