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プロの写真家の定義

先日、写真家の石橋純さんと久しぶりにランチがてら話をした。
Junさんはぼくが且つて3ヵ月程弟子入りさせていただいたことのある写真家としても、人間としても最も尊敬する写真家だ。 
Junさんは以前から”プロの写真家”と言われることに違和感がありあまり好きではないと言っていた。
今日もその話になり「プロの写真家ってなんですかね」と聞かれた。
ぼくは「写真を生業にしている人」と答えた。
「では友達の結婚式で写真を頼まれ謝礼をもらった場合は?」
「それはお駄賃であってプロではないと思います」
あくまでも写真を生活を賄うための主軸にしている場合こそがプロでしょう…と。

ぼくはこれまでも書いた通り写真をはじめた時に絶対仕事にしない…と決めていた。
所謂案件は全てお断りしてきたし、有償で撮ってくださいという依頼も一度も受けていない。ツテでどうしてもと言われた場合は無償なら撮ります…と言ってきた。
ぼくにとっての写真は茶道や書道のように”道”なのだ。
生涯でぼくはこの一枚を撮った…と思えるようなものを撮れることこそが目標であって、お金を貰えるかどうかはぼくにとっては瑣末な問題なのだ。
別に特段金持ちな訳ではない。でも贅沢をしなければなんとか生活していけるくらいには必死に仕事をしてきた。

話を戻そう。
ではJunさんの言うプロとは何か。
仕事にはゴールがある。ぼくが長年携わった営業であれば年間売上・利益計画。当然だが趣味ではなく純粋にお金のために皆その目標に向かって必死で働く。
しかし芸術分野に於けるゴールはない。妥協なく自分の感性・技術を研ぎ澄ませ作品に向き合う。
あくまでも商業写真ではなく写真家自身の作品の話だ。
そしてそれを見る側がその作品に対してお金を支払いたい…となったりする。言うまでもなくその作品には製造原価があり写真家の莫大な工数がある。買いたい人はその両方にお金を支払ってでも自分のものにしたいと欲する。完成した作品に後からお金がついてくる。

Junさんの感じる違和感はそこなのではないか。
Junさんや多くの芸術家は撮る写真の先にお金を見ながら撮ってはいない。あくまでも自身の理想を目指しているだけ。生活が成り立たなければ他に仕事をしてでも目指す。
その作品に対して後からお金がついてくる。
それこそがプロの写真家なんじゃないだろうか。
…と書いてきてNHKの「プロフェッショナル」を思い出した。各分野のプロを紹介するあのドキュメンタリーだ。番組の最後に「あなたにとってプロフェッショナルとは」という質問がある。
道を極めようと日夜努力する方の言葉には重みがある。しかし”プロフェッショナル”という言葉の解釈は人それぞれでいいのだろうとも思う。
そんなことを思った。

それではまたお会いしましょう。

#写真 #カメラ #写真家 #プロフェッショナル

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