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箱根駅伝特別企画:竹澤健介の箱根路vol.1〜初出場から区間賞への躍進〜


0.はじめに

今年もあと数日を残すばかり。
いよいよ箱根駅伝も迫ってきたこのタイミングで、「市民ランナー高速化プロジェクト」では、
箱根駅伝特別企画として、竹澤健介さんに箱根駅伝のことを振り返ってもらいます。

箱根駅伝は、今や正月の風物詩とも言える学生最大級のスポーツ大会の一つ。
まさに国民的イベントと言えるこの大会で、多くの選手が活躍し、そして世界大会へ羽ばたいています。

「箱根から世界へ」

まさにこのスローガン通り、44年ぶりに現役箱根ランナーとしてオリンピックに出場した竹澤健介さんに、学生の頃を振り返ってもらいます。

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1.大学1・2年生(個人編)

九鬼靖太(以下、九鬼):まずは、大学1・2年生の箱根駅伝について聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。

竹澤健介(以下、竹澤):なんか、学年がごちゃごちゃになってて。。。うまく思い出せるかな。笑

九鬼:がんばって思い出してください(笑)。早速ですが。1年生で初めての箱根駅伝、率直にどうでしたか?

竹澤:一番驚いたのは、歓声でした。沿道からあんなに声援を受けることが今までの経験ではなかったので。テレビで見てるよりも、沿道の応援の人たちがすごく近いのと、応援の声も大きくて。その応援とか独特の雰囲気に飲まれちゃって、舞い上がっちゃいましたね。今でもよく覚えているのですが、自分の呼吸の音が聞こえなくて。あれは、本当に焦りましたよ。そんな感じで、一瞬でレースが終わっちゃった、って感じでした。全然、勝負もできなくて。チームにも貢献できませんでした。

九鬼:5000mで13分45秒95の自己ベストを出して、既に1年生で早稲田大学のエースとして期待されていました。この時にプレッシャーとかはなかったのですか?

竹澤:これはよく聞かれたのですが。びっくりするくらい、プレッシャーはなかったんですよね。単純に走れるのが嬉しかった、というのがあります。高校生の時は、早稲田大学に入って箱根で走ることが夢だったので。「箱根、走れるなー」と言う喜びというか感動みたいなものの方が大きかったです。

九鬼:2区という、いわゆるエース区間に対するプレッシャーもなく?だって、他のチームは上級生が走ってくるじゃないですか。

竹澤:その時にチーム内では一番早かったし、「もう自分が走るしかないな」っている半ば諦めみたいなのもありました(笑)。それに、その前の全日本インカレで、5000m入賞していたので、なんとなく顔ぶれもわかっていて。そういうので自信もついていたんだと思います。実際走ると、思うようにはいかなかったのですが(笑)。

九鬼:ありがとうございます。それでは、次に2年生の箱根駅伝に移りたいと思います。その前に、この動画↓↓をご覧ください。

(4分30秒くらいから視聴ください)

竹澤:懐かしいですね(笑)。あんまり自分のレースをテレビで振り返ったりしないので、なんか恥ずかしいです(笑)。

九鬼:これ、名シーンですよね!この時、M.モグス選手(以下、モグス)がすごい勢いで追いかけて来て、すぐに前に出られました。それで、竹澤さんが後ろについて。率直に、あの時なぜ後ろについたのですか?

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