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魂にも季節がある

「自閉症スペクトラムです」


はじめて来た療育センターの診察が終わりに差しかかった頃、院長先生が言った。
子ども、1歳10か月。

藪から棒で動転したのか、わたしは
「自閉症スペクトラム(以下ASD: Autism Spectrum Disorder)の気(け)があります」
と、勝手に変換していた。

一年後の再診で、最後の最後に
「前回、ASDの可能性が高いと言われたのですが…」
と切り出すと、
「あれが診断です」
と、院長先生はちょっと困ったような顔をされた。

二度目の診察までの約1年、
隙あらばインターネットの波に乗って調べまくり、
「ASDの確定診断が下りるのは3歳以降」
と、常套句のように目にしたアレは一体何だったのか。
揺れに揺れたこの一年を返して。
いや、勘違いしたのはわたしなのだけれども。

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初診当時、1歳10ヶ月だったわが子は言葉をもたず、
家では両手と片方の足だけで移動する”立てひざハイハイ”をしていた。
療育センターというはじめての空間と男性医師(院長先生)に、
子どもは終始泣いていたと思う。
立てひざハイハイは、待てど暮らせど両手両足のハイハイには進化しなかった。
わが子の場合、それが最終形態だったらしい。
やがて椅子の背につかまり立ちをするようになり、
やがてポテポテと覚束ない二足歩行になった。


一年ものあいだ勝手に診断を脳内変換していたわたしは、
ASDを調べる過程でいやというほど目にした
「幼稚園や保育園で親に伝えても『わが子にかぎって、そんなはずない!』と突っぱねる保護者が多い」
というエピソードの保護者そのものだった。

今ならわかる。
先生の言葉に反発云々ではなく、あれ以外の反応が出てこなかった。
条件反射みたいなものだと思う。
ASDに関する本を片っぱしから読み、療育手帳のとり方から進学まで情報はてんこ盛りになったが、決めたことは1つだけだった。


昼ごはんは買う。

「子どもの将来にとお金を貯めるのも大事だけれども、親が今日の終わりまで笑顔でいるためにお金をつかうのも同じくらい大切」

インターネットの荒波でこの一文が目に留まり、それからは自分のお昼ごはんは買うことにした。
子どもが大人とおなじものを食べられるようになったら、子どもの分も。

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院長先生の一年ぶり二度目の診断は、時間をかけて大木に水が沁みこむように、
身体に深く沈んでいった。
二度目の診察から一年とすこし経ったとき、悪阻以来見たことのない数字を体重計が叩き出した。
食べているはずが減っていく。
「あ、これはマズいのかも」
そのときはじめて、自分が元気ではないことを自覚した。

院長先生の言葉に、自分ではしばらくそれと気づかぬほど動転したというのに、
ここ数年はあまり思い出さなくなっていた。
受容したのではない。
「これがうちの子だから」という、開かれた心持ちでもない。
全方位安全を確信したのでもない。
ただ、診断されたときのあの光景を心のなかで再現しなくなっていた。

それを今、こうして文章に起こしたのはなぜか。


「進学のこととか、お母さん何かかんがえておられますか?」

つい先日、療育先でこう訊かれた。    
(ーいえ、なにも。)
こう答えたのは心のなかだけで、実際は
「そうですねー」
と濁した。今思うと、なんも濁せてないのだが。

子どものはじめての集団生活にあたって、園と役所に問い合せ、足を運び、
ときに頭を抱え、ときに天を仰ぎ、ときに涙し、ときに救われた数年前が走馬灯のように立ち登った。
あれと同じことを、もう一度しなきゃならん。
あぁ、しんど。サマルカンド

言葉遊びはさておき、
ウズベキスタンの古都「青の都」と称されるイスラム建築
サマルカンド・ブルーを、一度この目で見たい。
この夏、行ってみるか?
本当の本当に行ってみたいと思って、子どものパスポート申請のためについに住民票をとった。あとは写真と戸籍謄本だ。


閑話休題。

20年以上前の曲、
Mary J. Blige  “No More Drama”

「ドラマはもういいの、心の平安をちょうだい」

かつての自身の依存症を歌っているらしい。

子どもが診断を受けたあと、黒曜石のような黒い魂をかかえて練り歩いたあの季節、何度も何度もこの曲が頭のなかでこだました。
テレビ画面の前で、地鳴りを想わせる声と手で訴えるMVをあらためて観ると、
パフ・ダディやマライア・キャリーがさらっと出演している。 
そしてバックコーラスが彼女の咆哮に覆いかぶさってゆく。

診断されたときのことを頭のなかで何度も再生しなくなったのは本当だが、
ふたたび岐路に立たされていることを自覚したとき、
「定型児はここで悩まないのか」
と気づいて、それがふたたびボディブローのようにぐわんぐわんと効いてきた。


この文章も、どうしたらポップになるかとか、面白おかしくとか、
読んだあとにクスッと笑えるとか色々浮かんだが、
何度言葉を入れかえたとて、そちらには転ばなかった。


もうどこか知らない土地へ行きたい。


子どもの学校の話をすると、ベニヤ板でグイグイと頭を押さえつけられている画が浮かぶ。
かといって、事情をさらけ出す心境でもない。
ただ、だれもわたしを知らない場所へ行って、素知らぬ顔で生活をはじめたい。


最近胸板がとみに厚くなった子どもは、ときにわたしが仰反るほど地声が大きい。
この間は、お風呂でわたしのふくらはぎにできた靴下の跡を、
迷路に見立てて遊んでいた。

自分の部屋がほしい。

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