大学の化学系研究室の実情
*この記事は、大学院修士課程2年次に書いた文章を編集したものです。
大学の化学専攻の研究室。どんなイメージを持つだろうか?白衣をまとった教授や助教が実験室でフラスコを振っている、といったところだろうか。
実は、日本の大学の研究室を構成するメンバーのほとんどは、大学院生だ。
つまり大学の化学研究は、大学院生によって支えられていると言っても過言ではない。
大抵の研究室にはコアタイムと呼ばれるいわゆる「勤務時間」がある。長いところでは9時から21時、週6日。
正気ではないほどの長い時間、大学院生が毎日毎日研究室に通って実験して実験して必死に論文を書いて、やっと研究成果が出るのだ。
研究室の円滑な運営は、基本的に学生の善意によって成り立っている。
新入生への実験指導、消耗品やガラス器具の注文・管理、業者対応、資料印刷や行事の取りまとめなどはほぼすべて学生の仕事だ。
1万円のガラス器具も、10万円の試薬も、1000万円の測定機器も、学生によって管理とメンテナンスが行われている。
そして、忙殺される日々の中で精神的・肉体的に辛くなってしまった学生に対する教員からのサポートは基本的にないと言ってよい。「失踪者」が時々出るのは驚くことではなく、彼らは気付いたらネームプレートが消え、机が消え、ホームページから名前が消える。
馴染みのない人は驚くかもしれないが、教授のほとんどは実験をしない。会議、専攻の雑用、予算の獲得、学生との議論で彼らの時間は消えてゆく。手を動かすのはあくまで学生だ。
二十代の数年間を費やし、大学の研究成果に貢献する彼らへの対価とは?
私の考えるその答えは、「自然の真理の一端をつまびらかにする喜び」。
それだけ?それだけだ。そこに価値を見出だせない人間は、大学院に進学しないほうが良い。
研究で新しい事実を知ったとき、この世界でこの手の中にしかない新しい物質を作ったとき、計り知れない喜びと躍動感が得られた。この味を知れたことだけでも、大学院に進学する価値があった。
冷静になって考えると、対価以前に学費を払っているわけで、「やりがい搾取」に近い状態なのかもしれない。私を含め、3年間の研究生活でお腹一杯になった(目に見える対価が得られないまま3年を過ごす研究生活に嫌気が差してしまった)人間は修士卒業後に進学せずに就職する道を選ぶことが多い。
対価など関係なく純粋に化学を愛し、博士課程まで研究生活を続ける志のある人を、私は心から尊敬している。
働き方改革が叫ばれる昨今、研究環境はどのように変わっていくのだろうか。
風通しの良い研究環境が未来の大学院生に用意されますように。
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