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縁のある人はどこか懐かしい?

こんにちは、Kiku Miriです。

5年ぶりに中学時代の友人に再会しました。
彼女たちとは30年以上の付き合いになりますが、今もこうして連絡したら集まれる友人はありがたいです。

仏教では「縁」のある人と教えられます。

中学生のときに同じ教室に座っていたクラスメイト。
30年後も付き合いがある人は数人ではないでしょうか。
1クラス40人で、30年以上も付き合いがある友人はとても縁の深い人でしょう。
卒業アルバムを見ても、名前を思い出せない人も複数いるのではないかと思います。

縁のある人、縁のない人とありますが、「縁」って不思議ですね。


「縁談」「縁結び」「血縁」「宿縁」など、人とのつながりを表す「縁」という言葉は生来、仏教の言葉です。

夫婦・親子・職場の同僚・友人・恋人・師弟など、私たちはさまざまな人と「縁」があって生きています。

よく自分と関係の深い人のことを「縁の深い人」とか「因縁のライバル」といいますね。

夫婦や親子になる人も、ライバルも、よほどの縁の深い人です。

「袖触れ合うも多生の縁」ということわざがあります。

街なかで人とすれ違って袖が触れ合うことがあります。
そんな人とは、名前も知らなければ言葉も交わすことなく、ただすれ違いになっただけの人でしょう。

そんな人でも、仏教では「多生の縁」のあった人なのだよ、と教えられます。

「多生の縁」とは、生まれる前の過去世に何度も会っては別れを繰り返して、今、袖触れ合った因縁のある人なのだよ、ということです。ささいな関係であっても、人との縁は単なる偶然ではなく、深い縁によって起こるのです。

その中で家族になる人というのは、よほどの因縁の深い人なのです。

今の人間関係は、過去世から因縁あって再会した人だと思うと、なんだか懐かしい気分になります。

📒仏教に学ぶ幸福論


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