「大人」の崩壊と、捨てきれない子どもの怨念

今年こそはブログを習慣づけることが目標なので、日記も、オタク的所感もぜんぶノートに書くことにするぞ! ということで、なんてことないただの日記を書くことにする。

昨年末から職場に新人が入ったのだが、いまいち教育が上手くいかないまま繁忙期に突入してしまって頭を抱えている日々だ。

真面目で悪気はないのだけれど、仕事をしにきてる、というより業務上使用してるソフトを覚えにきてる、という取り組み方なので、とにかく仕事を覚えてくれなくて戦力として数えられないため、私は苛立ちが隠しきれずにいる。
私は残念ながら優しさを持ちあわせていない、というか嫌われることを厭わなすぎるので、「うわっ嫌なヤツ」って思われるくらいの責め方をすべきかなあ、なんてモヤモヤと考えてるうちに、月日だけが経ってしまった。

さすがに本人の意識がズレすぎていると、教えがいがなさすぎるし、そもそも自分で作業したほうが早いしで、う〜〜〜ん、と思い悩んでいるときに、ふと気づいてしまった。
「そういえば私の母も、余計手間がかかるからって、子どもに手伝いを一切させていない人だったなあ」

ここではまだ私の家庭環境について書いたことがないので、ざっくりと説明すると、私の両親は物心つく前から仲が悪い、というか父が家にほとんどいないため(住んでる家は一緒なのに)、母から父の悪口を聞かされつづけながら私は育った。
結果、中学生くらいになって自分の存在意義に思い悩んで死ぬこと以外考えられない、というありきたりなアダルトチルドレンコースを辿ることになる。父を蔑み憎悪して、母の夫婦関係や介護の不満の捌け口に自分がなっていたことに気付き、いいかげん嫌気が差した。
そのため、高校を卒業すると実家が東京なのに地方の私大に入学して、物理的に距離を置き、なんやかんやあって卒業後に一度絶縁し、またなんやかんやあって和解し、実家に一瞬戻って、時間をかけて何度も説得した結果、ようやく「父と離婚してほしい」という私の訴えを母は受け入れてくれ、24歳にしてアダルトチルドレンを脱せた。
なので、いまはそこまで不満なく母と接することができているし、大学入学を機に家を出て以降、実家に「帰る」という表現を自然と使えるようになったのもわりとさいきんの話だ(ずっと精神的な「帰る場所」ではなかったので)

いま私は26歳で、この歳になってくると、さすがに親というものが完璧でもなければ神様でもないことは分かる。
友人の結婚式に出るたびに「責任と社会性を負って偉いなあ」と思うし、私には他人と運命共同体になるほどの覚悟も責任もないし、ましてや子どもなんて、と思うので、素直に尊敬する。
子育て、という観点から見ると、親が手取り足取り教えながら子どもにお手伝いをさせたほうが、その子の将来のためになるに決まっているけれど、とにかく日々生活していくことを考えたら、自分でやってしまったほうが早いのは理解できる。

だからといって、私が子どもだったときの母の行為、父の悪口を聞かせつづけたことや、死ぬことしか考えられなかったため学校なんて行けないと登校拒否していた私の髪の毛を掴んで引きずり回したりといった暴力を許していいわけがない。
母は、自分がしたことがいかに私を歪めたか、は理解してくれたけれど、謝罪はしてくれていない。とにかく素直じゃないし、素直じゃないことに自覚がない人なので、たぶん私が「謝って」と言わないかぎりは、謝罪はないだろう。私だって言うのはつらいので(どうしても育ててもらった恩が捨てきれないから)、きっと一生ないのだろうなと思う。

そんなこんなで「大人は完璧ではない」ことを理解できるようになった私は、教育よりも物事をはやく進めることに重点を置いた「子どもに家事を手伝わせない」という母の行動を理解できてしまうし、実際自分もおなじような思考をするようになってしまっている。
いっぽうで、心の底にはえいえんにあるであろう、幼少期から受けた母の行為に対する恨みを思うと、「嫌な部分ばっかり母に似てしまって最悪」という思考になるのである。
仕事で忙殺され睡眠時間も十分でないためふらふらと駅に向かっていた金曜日の朝、ぼんやりと考えていたらその二律背反に気づき、なんだかつらい気持ちになってしまい、すこし泣いてしまったのだった。

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