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2年半かけて作品が生活に染みついた話(違国日記7巻に寄せて)

ヤマシタトモコさん『違国日記』7巻が発売された。後半の、朝が”世界”との関わり方について考える描写が、自分がふだん意識していることと重なるように感じて、読んでいて涙がこみ上がってきた。

そのときふと「そういえば、1巻読んだときはこの漫画に自分と等身大のキャラクターがいなかったよな」と思い出した。当時のツイートを探してみたら、こんなことを書いていた。

違国日記読んでたら、はやく三十路になりたい願望がめちゃくちゃ強くなった。朝に自己投影するような年齢でもないし、かといって槙生ちゃんたちほど大人じゃないので、はやくあの境地に達したいな。(2018年08月25日)

最寄駅の混み合ったベローチェで読みながら、槙生ちゃんが眩しくて、羨ましくて、泣いたことをよく覚えている。そのときから、違国日記は私の人生の目標で、教科書で、道標として大切な存在になっていた。

それから2年半が経った。当時と変わらないことは、アイドル(じゅじゅのちゅんさん)を推していること、勤務先、住んでいるアパート。変わったことは、職種、心療内科に通わなくて大丈夫になったこと、あんまり怒らなくなったこと、32〜33歳くらいまでにマンションを買いたいっていう目標を立てたこと、自分を大事にできるようになったこと、大切にしたい友人が増えたこと……など。

たった2年半だけど、かなり息がしやすくなった。刹那に固執した破滅的な日々を送っていたけど、自分が60歳とかさらにその先まで生きることを前提にした生活を送れるようになった。

ここまで成長できたのは、推しアイドルのちゅんさんの存在があったからだ。地下アイドルのオタク=お金を払って推しとの人間関係をやっていく行為だと思ってるのだけれど、たまたま似たような心の傷を持ったアイドルと出会って、自分自身が10代のころ「あのときこう接してくれたらこんなに心がすり減らなかったのにな」と思う振る舞いを推しに対して実践して大切にすることで、自分も救われていた。そしてちゅんさんも私を大切にしてくれることで、お互いに心を救い、救われ、やがて「生きるのが楽しい」と自然に思えるようになってきた。

そのなかで感じたことが、まさに朝が感じたことと重なったのだ。

わたしは愚かにも
自分の小さな行動がきっと
世界を変えうると信じていた

何年も「生きることは苦しくて、できればさっさと死んでしまいたくて、でも死んだらこれまで私に許せないことをしてきた人間に殺されたようなものだし、そんなの腹立つし、復讐のために生きてやる」と思いながら生きてきた私が、推しとずっと一緒にいたい、という愛を原動力に生きられるようになった。

ちゅんさん自身も、コントラストを下げて暗くした写真ばかり投稿していたのに、いまやインスタのホーム画面は陽光に溢れた写真に溢れている。リストカットで生を感じていたのに、腕の傷が邪魔だと思えるようになった。この先15年以上生きるであろう猫を飼いはじめた。

もちろんお互いからの影響だけによるものではないとはいえ、人と人として関わりあうことで、2人の世界の景色がそれぞれ、こんなにも変わったのだ。

私は今年で、実家を出て一人暮らしをはじめてから10年が経つ。実家で過ごした地獄の年月よりも、一人暮らしをしている期間が上回ったらパーティーでもしたいななんて思う。違国日記が私の人生にしっくり来るようになったし、きっと大丈夫だろう。

これからも、私の世界が、そして私の周りの大切な人たちの世界が、輝かしくてぬくもりに溢れたものでありますように。

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