134/たら、ればの話 #あの選択をしたから
お題を頂戴して頭の中がぐるぐる回る。
人生60年。
これまでたくさんの選択をしてきた。
幼い頃は私の人生の選択を親がしてくれた。
大人になってからは選択の連続で、その結果が「今」なんだと思う。
その中で最大の選択は
「夫の転勤」
夫の仕事先は全国に散らばる。
東京や大阪など一部を除いては各県に一カ所しかない。
盛岡市に就職が決まった時、私たちは少し仲の良い先輩と後輩だった。
「盛岡に就職する。」と聞いて、旅行好きな私は
「一度行ってみたいから、そのうち案内して。」
と言ったのを覚えている。
盛岡は私にとってなぜか魅力のある街で、以前から行ってみたいと思っていたからだ。
これが他の場所だったら、二人の関係はここで終わっていたと思う。
就職からしばらくして、夫が盛岡を案内してくれることになった。ここから二人の交際が始まり、3年ほどで結婚する。
当時実家から離れて東京で公務員をしていた私。
ずっと働き続けようと思っていた。
でも結婚相手が遠くにいるとなれば、辞めるのも仕方ないのか?
〜東京なら何かあったらすぐに行けるが、盛岡は遠い。
遠いが外国に行くわけじゃないんだからなんとかなる。
もし誰も結婚してくれなかったら一生一人だ。
結婚したいと言ってくれる人がいるうちに結婚した方がいい。〜
当時父はこんなことを呟いていた。
そして。
私が結婚を決めた夫の言葉が
「自分は長男だけれど、実家のことは妹がいるから大丈夫。一生盛岡にいるから。」
本心だけれど根拠も確証もない。
でも確証のない言葉を全部信じて結婚を決め、退職した。
1988年の秋のことだ。
盛岡の生活は楽しかった。
非常勤の仕事をし、週末は観光客よろしく、あちこち出かけた。
春夏秋冬、四季折々の祭やスポーツは、今までに経験したことがない時間の流れだった。
一方で不妊で悩み、心から相談できる人や場所もなく、気持ちの整理何できない日々があった。
夫といえば、仕事や組合、社会活動に飲み会。
若さに任せて動いていた。
楽しいけれど、なんとなくすれ違っていく自分たちがいた。
そんな時に夫の転勤の話が持ち上がった。
私にとっては寝耳に水だったけれど、夫の中では少し前から心を動かされる話だったらしい。
転勤先は私たちの地元。
〜地元が嫌で東京に出たのに、今更帰るなんてありえない。
一生盛岡にいるって言ったから公務員を辞めたのに。
今年は帰らないけど、準備ができたら来年転勤するからって、どう言うこと?
実家に誰もいなくなったからって、そんな事言ってなかったよね?〜
様々な思いが爆発する。
アパートで話をしていると、エキサイトして大きな声になるので、歩いて10分ほどのファストフード店で話し合いをする。
それでも感情が高まり声を荒げることもあり、話し合いはしばし中断する。
この話を聴いて父は喜んだ。
〜来て欲しいと言われる時に転勤した方が良い。
あちらの両親も喜ぶだろう。〜
周りから色々言われれば言われるほど、
〜私の人生,誰のものでもない。
私が好きなようにしたい。
このまま離婚して盛岡に住む?
離婚しないまでも別居婚する?〜
結局、「準備ができたら」の転勤なんてありえない。
今年転勤しないのなら私はここから動かない。」
の言葉に、夫はあっさり転勤を決め、翌年4月から現在の地で勤務することになった。
そして、昨年3月に定年を迎えた。
今から30年ほど前の出来事。
「あの選択をしたこと」がどうだったのか?
あのまま盛岡にいたら、父を看取ることはできなかっただろう。
私の力になってくれた犬たち、メイ、モモ、メープルとの出会いはなかった。
ねこと暮らすこともなかっただろう。
妹と一緒に習い事をしたり買い物に行ったりすることもなかっただろう。
離婚していたかもしれない。
東北訛りの立派なおばちゃんになっていたかな?
そして何より。
夫婦共にお互いの気持ちに耳を傾け、大切にしようとする気持ちが育まれなかったと思う。
この選択が良かったのか?
答えが出るのはずっとずっと先のこと。
魂が天に昇っていく時かもしれない。
その時
「あの選択をしたから素敵な人生だった。」
そう思えたら最高だと思う。
それまで。
自分が選択した人生、毎日楽しく生きていこう。
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