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もう既にゴール(^^♪ ③

もう既にゴール(^^♪ ②の続きです

自分は既にいなく
自力はないので
自分がある感じを無くすことは
不可能なのですが

自分が居ない感じを
少しだけ知ることはできます。

たとえば
夢中、集中、熟睡の時
思考、自分が不在の状態です。

これらは 
「わからない」に安心している時です。

例えば
「~なければ」
「~が方がいい」
などの 条件が何もない時です。

自分、思考は分かりたがり。
でも その分かるが 分からないを分かれない。
「分からない」に安心できない 単なる性質です。
自分の不在の時だけ
「わからない」に安心している時です。

ただ、夢中、集中、熟睡の時だけが
自分が居ないというわけではないのです。
時空間を包摂している自分でも
僅かながらに自力の無さを感じることができる
時なのです。

いつ何時 どんな時も
本当は自力も時間も空間も
実ははすでに無いのです。

あと 自分がある感じがいけない訳ではないのです。
どちらがいいわけではない。
どちらでもいい。
どうあってもいいということ。

もちろん 今も自力なく
湧いてくるものを意味なく
記事を打つが起こっているだけ。

そんなの無責任だと思われますか?
かつてはそのように感じるが起きていました。

しかし、もう既に誰もいないことの
気づきが起きた時
犯罪も 戦争も ネガティブも ポジティブも
どうすることもできない。
起こることしかなかった。
ただ そうあるだけなんだと
呆けるしかなかったのです。

しかも 
何がおこるかかなんて 絶対的に「分からない」
自力の絶望(全否定、誰もいない)=全肯定、全受容

二元、矛盾、抵抗がなければ
リアルな体験はできない。
人間は肉体を感じながらにして
同時に境界のない0でもある。

どちらの状態でもある!

地獄も天国もどちらも遊び放題。

無、0は
分離感、不足感、痛みだけでなく
繋がり、充実感、悦びは体験できない。

【自分のある相対的な世界】←人間が信じていた世界
∞(現象)相対の世界 = ∞+0(無)絶対の世界
※ 無はどんな現象にも離れることなく存在していることを意味する。
  つまり 現象全ては無で繋がっており 充たされ
  既に全受容されていることを意味する。
※ 予言、予知、パラレルワールド、宇宙人、妖怪の世界など
  何でもある感じが自力なく起こる
  (主体、客体ありきの 虚数の世界も含む)
※ 本当は無いのだが 比較、所有でリアル感が味わえる世界
  生と死が味わえる

上記の式は相対的な思考の世界なので
次の式に包摂されているので 究極 0(無)
【自分の無い絶対の世界】←本質的世界
0(無)絶対の世界=∞(現象:∞+0)相対の世界 ×0(無)
※ どんな変化が起ころうとも 0なので絶対であり比較がない
  変化もなく 分離もない。
  どんな現象も本質的には 何も起こってないし無でしかない
  ことを意味している。
※ 分かれてないから 時空間もなく
  何が起こるかも分からない。(悟る人もあり得ない)
※ 何が起きても そうであるしかなく 
  同時に 起きていないともいえる。
※ 全て無なので、比較、所有、自分も全て無。
  死ぬ自分はいないので死はあり得ない
  既に「死」ともいえる
※ いつ生まれたかも分からないように
  いつ死んだかも分かり得ないので
  怖れる必要はないが、怖れがおきるのも仕方ない。
  寧ろ、怖いのは相対の世界にハマっている。
 
どんな体験もすベて有難い味わいであり、
貴重な宝の物でもあるのです✨💎✨

現象は無の中で 
無条件、無償の愛、全肯定、全受容の中で
体験していると勘違いが起き、戯れが起きている。

つまり、愛は優しいだけではなく、厳しくもある。
(究極 なにも無いので本当は愛も無いのですが
 あえて 0 無を相対の世界のものでたとえるなら
 愛 なんでしょうね。)

自分の都合の良い事だけは起こり得ないということ。

ただ、起こることに覚悟さえあれば
何が起きても結局大丈夫じゃないとみえることも
大丈夫ってことなんです。

更に
自分という制限は 自分ありきの制限なので、
越えられないことも 無いことも意味します。

自分の抵抗感が無い時も 起こっているように見えることも
起こってないことを意味するので。

自分もいないということは 他人もいないことになります。
なので、自分も他人もコントロールは不可能です

支配、コントロールが起こっている感じがあるなら
支配、コントロールが起こっている勘違いが起こっている。

これまでも自分を完璧にできなかったのと同じように
世界を完璧にするためにコントロールすることは不可能。
必ず どんなに頑張っても自力ゼロに吸引される。

なぜなら、
どんな自分でも どんな世界でも 既に美しいからです。
正しい、間違いから抜けた世界が絶対であり完全性。

では、相対の世界とは
思考の中(分離、時空間、制限)にある
現在、過去、未来が認識できる世界

つまり 自分は
本流をブロックし、抵抗を感じる状態。
自力に拘った状態。
自分も世界も信頼してない状態。

条件付けの狭い世界のなかで
小さくエネルギーが循環状態

どこまでいっても
横軸の世界内なので求める答えはない。
求めるは 求めるが答え。

自力はやった感があり
ついつい刺激的で癖になる。
中毒性があり、やり方に執着しやすい。
重いエネルギー状態。
抵抗感ありきの体験。
たとえるなら 自力だよりの 山登り
相対ありきの世界。


反対に
今を信頼し、くつろいでいる
相対、対局のない 絶対の世界(無の世界)
見るもの 見られるものがない
視点が事象と全てが
一体化してはたらきそのものとなる。

答えは思考の世界を抜けた、抽象度の高い世界に
抵抗せず流れて来るものを受け取るのみ
拒むことなく 味わうのみ。

自分と世界全てを根拠なく信頼した状態。

境界がなくというよりは
無、0状態、差がない
時空間もなく特別性も重要性もない。
同時のエネルギーが無限に充たされた状態で大きく循環
厳密にいえば 変化も循環もない

信頼は軽い状態。
流れに乗っているだけで
自力なしの川下り。

流れに身を任せるということは
流れと一体になっているので
時間も変化もないと同様。
0であり 静寂。
※台風の目のように 中心は究極の静寂 外は変化の嵐
 しかし、中心は究極0なので 何も起こってないことになる。

さらに
0は 常にあるのに0であるため
一体化されて0であり、無限を生み出していることに
気づけないという…
なんとまぁー 気の抜けるオチ (笑)💦

つまり、自分にとっては
絶望の世界 とも言える。

自分にとっての絶望の世界は
矛盾、二元の世界に
どんな時も 全受容し、離れることなく寄り添っている。

自分はいないから どうすることもできないのですが
どうにかするが何かしら起こってくるので ご心配なく。

途中に見えても 
うまくいってなく見えても
どんな状況であっても…
ゴールしかないんです。
正しい、間違いは存在しないのです。

既にゴールだけなんです。

このシリーズは今回で終わりです。

最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。


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