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「覚悟」について②

無が無を知るために
有(3次元)の起こり。

反対も然り。

有(3次元)の起こりは
無を知るためにあるようなもの。

これは どこまでもセット。

わたし は
過去の記事にもあるように
毒親育ち、
鬱にもなり、
子供たちもいじめや不登校
家族で事故
など、字面で見る限り
きっと皆さんには
さえない人生に映ることでしょう(笑)

しかし、当の本人は
この人生が面白くて仕方ないのです♪
(本人もいないのですが、便宜上)

起こることは変えれないと、
自力がないことに
思い通りがそもそも無いことに
絶望したこともありました。

究極 全て0 
つまり絶望もないことにもなります。

観念が反転した瞬間、全てが有るに反転しました。

つまり0全て同じ。
「無い」=「有る」ってことに気づいてしまったのです。

肚を括るほどの問題も実は無い。
何一つない。
有ると思っている自分がいる時は問題も有る。

自分がある時、問題も有る。
自分がない時、問題も無い。

自分がいる時、他人もいる、
自分がいない時、他人もいない。
(寝ている時がわかりやすいでしょうか。
 起きている時も集中している時は
 自分がない状態です)

よく、自分軸、他人軸の表現を目にします。
これらも上記の通りです。
軸も中心点の本来は無い。

無にあきたら、有(3次元)の世界を
有に疲れたら 無の世界を
ただ遊んでいるだけなんです。
どちらが真理ってわけではないのです。
どちらも真理といっていいのかな?
色即是空 空即是色とでもいうのかな?
でも、これらも 無いと言える。

未来が見える人も、霊、天才も
全て優劣ない設定です。
3次元に真理はありません。
この身体が 自分の心地よい正解を教えてくれます。

食べるものも、教育も経済活動も
全ての方法論は万人に当てはまるものは
存在できません。

もちろん、人間社会では有利、不利もありますが、
それすら もう わたしには
問題ではありません。

先日、弟が搾取について話していました。
でも、関係なく感じるが起こるのです。
それがあってもいいし、なくてもいいと。

わたし の生活は
決して、皆さんがうらやむような
裕福な生活はしていませんが、
とても心地良い時間を送っています。
わたし の 心地いい。

幼いころから田舎育ちのせいか
里を離れても
自然と動物に囲まれた生活がしたいと
思っていました。

今住んでいるところは 普通の団地。

でも、毎日、庭に
アナグマ、鹿、狸、モグラ、ヒキガエル
カタツムリ、昆虫、ヤモリ、カナヘビ、野鳥
ほか。
今は思い出せないのですが、
毎日 庭に何かしらでてきてくれ、
とても愛しい時間を過ごしています。
昨年は梟やヨダカも夜に遊びにきてくれました。
(近所の人は野生の動物が毎日ここに来ている
 ことを知らないらしい)

息子と上昇気流に乗って燕の旅立ちも
みました♪

台地なので
流星群も花火も山も海も見えるんです。
わたしには 最高な毎日なんです。
毎日、犬と近くの山に登山もできます。
わたしが やりたかったことの一つです。
徒歩で買い物もできる。
郵便局もあり、生活は便利。

お金をかけなくても、
こんな形で私の夢は叶えられているのです。
正直 思ってた形、
シナリオとは違っていましたが、
今はこう来たか!と粋なシナリオに
笑いが出ます。

寧ろ、わたし の制限だらけに
思考や想像、ルートだけでは
この現象化は遅れていたか、
叶わなかったかもしれません。
抵抗、条件付けは時間を長くするのが
設定です。

でも、わたしは 子どものいじめ問題や
事故をきっかけに
自力なんてそもそもなかったのだと気づきが
起こってから
起こることに抵抗感が減っていったのです。

怒りや焦りが無くなったのではなく、
それがあってもいいじゃん!と
感情と同時にそのような解釈も
自然と湧くようになったのです。

そうすると、他者の言動、
行動が気にならなくなり、
それでいいじゃんと認めるようになり、
コントロールしようと
足掻くことが減っていきました。
もちろん、嫌い批判も全然OK。
寧ろ、問題を超えるたびに自信が湧く。

子供の要求も認められ、
わがままでもいいじゃん、
同時に自分の湧いてくる感情も
認めるが起こるのです。
(昔より、親子の関係性は良好)

自分に起こるありのままを認めると
他者のありのままも同時に認めることが
起こるのです。

もし、他者からの迷惑に怒りが湧く時は
同じことを他者にしたらいけないと
条件を自分に付けているのかも?

無条件に自分を赦すと、
自然と迷惑と感じなくなったり、
迷惑かけられることが少なくなります。
事象は今 自分にどんな設定でどんな制限、条件が
発動しているかのお知らせみたいなものです。

だから
嫌なことが起きても
そのまま泣き寝入りすることを
推奨している意味あいではありません。

嫌なことが起きた時、
我慢が起きれば それはそれで
仕方ないことではあるのですが、
我慢している自分に気づき、
嫌だと思っている自分の感情に気づき、
我慢をやめることが起きたって
良いわけなんです。

わたし は たくさんの
ブランドや物、お金を 持ちたいという
欲求は湧きません。

だから、必要以上に
いい車、いい家とかにも
興味がなく、
雨風しのげて、各自に部屋があれば
幸せよね くらい。

漠然と考えていたら、
格安物件に出会う。
内覧した時はとても住めない程の
傷みっぷりでしたが
最低限のリフォームで大満足。

庭の大きな梅の木に娘は
座ってお茶しながら
景色が見える台を友達と作ってました。

大事にしないわけではないのですが、
子供がふざけても
愛犬が傷をつけても、
カタツムリちゃんがポリポリ塀を食べても
全然気にならない。
キレイにしておきたいとも思わないので
あまりキレイではない。

寧ろ わたしに ピッタリなのです(笑)。

これがたくさんお金をかけて
いい状態をキープしようと思う性格なら
きっと、わたしにはストレスがかかること
なんでしょうね。
常識的には キレイにするがいい事とされていますが
それが必ずしも わたし の心地よいに
当てはまるかは別物です。

コロナ休みには
ハンモックも作り、
庭にど子供とドデカい穴を掘って 
ブルーシートで水をはり
泥遊び。
わたしが 坊主頭にしたのもこの時期。
ずっとしてみたかったことが叶いまくり。

コロナ休暇が毎日バカンスになってました。
この家に出会ったのはコロナ休校がある
前の年。
準備としか思えないシナリオ。

なるようにしかならないこと
これが腑に落ちていると余分なヤキモキさは
なくなりますね。
既に一瞬一瞬完了しているので。

それで、壊れたら修理するとか、
放置するとかが起きてくれば
それに沿って行動なり事象なりが
全自動で起こってくる。

この感覚でいると不思議なことも起こってくる。
というのは
もう ないはずのアイスが
わたしが 探すとでてきたり。

先日も支払いで必要なお金が
忘れていた体裁で 必要な金額が
カバンから見つかったり。

中学の娘が友達とだけで アメリカに行くとか、
その前も 批判覚悟、感染覚悟で
家族で旅行に行きました。

でも、小さなハプニングはあるものの
怖いことは起こりませんでした。

旅先では寧ろ 感謝すらされ 
ステキな出会いがたくさんありました✨

必要に応じて 本当に必要な時だけ湧いてくる。

これがホント必要な時だけ必要な分。
しかも、記憶も現象も
ちゃーんと辻褄らしきものも併せて。
だから気付きにくいのが 
これまた 粋な設定。
しかも 想いを全て叶えてくれている
と確信します。(全信頼)

この3次元で叶えられているのは
想い、感情です。
欲しい感情が叶えられています。

頑張りたい人は頑張っていると
自動的に頑張るシチュエーションが訪れます。
リラックスしている人は
何が起きてもゆったりした感情でいられます。

なので叶えられているのは
事象ではないのです。
事象はあくまでキッカケ。

抽象度が高いほど、3次元では
影響力が大きいのも 設定。
do < have < be も設定。
3次元は無限で無条件なので終わりがないが、
抽象度の高い方が起こりに影響があるようです。

マスクで闘わなくていい。
ワクチンで闘わなくていい。
戦争もしなくてもいい。
全て既に完璧。

つまり 3次元では 抽象度の高い
個人の感情、在り方、意志に沿って
主にシナリオが展開されています。

コロナ問題も経済問題も戦争も全て
その個人の在り方にそって
同じ事象でも体験が違うのです。
(目の前にゴミがあっても
 気づく人、気づかない人があるように
 完璧に個人で世界が展開されています。
 赤ちゃんには戦争で嘆くことは無いように)

わたし も 結局 
落ち込んだ子どもの為に
家を買ったのですが、
結果的には わたしの夢を叶えることにも
繋がっていたのです(笑)
これに気づいた時は
わたしは これが味わいたかったのか!
と唸り、涙が溢れ、
感動でおかしくなりそうでした(笑)
(結局、自作自演みたいなものです)

シナリオはどこまでも 内緒なのです。

今 うまくいってないと思うことも
面倒くさいと思うことも
次を面白いシナリオに
続く途中経過なんだろうな
くらいに軽く思う在り方だったので。

その方が早く面白い体験が起きています。

頑張るをしていると結局得たい体験は
遠回りすることになるかもですね。
頑張るは頑張るを叶えてくれるので。

飽きたらやめたらいいが起きてくるので
結局、助ける何か、
楽になる何かはないのです。

もちろん、バリバリ抵抗も
やった感があるので刺激的で楽しいですもんね。
それが楽しい人もいるので
ここの価値観も万人共通ではありません。

ここでは 何もない幸せのお話です。

自分システムを認知した上で
自分の心地い良いは
一瞬一瞬、一人一人違うので、
みんなと同じ価値観を目指しては
離れて行く可能性があります。

めちゃくちゃ離れていく人も
必ずゴムのように必ず戻されるので
どんなシナリオでも
安心して今に抵抗してても
結局 大丈夫
ということです。
(ちゃんと
 自動的に強制終了が入ったりします)

3次元上で表すなら
ゴールは常に 今 ここにあります。

覚悟は 全て何が起きても大丈夫
何も自力が無いを知っておくことなのです。
全てをありのまま引き受けるということです。

今回 少し 長くなってしまいましたね(;^ω^)

最後までお付き合いいただきまして 
ありがとうございました。












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