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歪んだ自己愛

秋になったら御苑に行ってストレッチとかしようよ、という友人との約束を果たせないまま2020年になった。食っちゃ寝してる。春になったら御苑でダラダラしたい。

この前、友人に言われた本当に些細なことで傷付いて、じっとそのことについて考えたりしている。友人のそういうところが嫌いだと思う反面、だから好きなときもある。私も大概無神経だから、かなり多くの人を傷付けてきただろう。いや、無神経というか、人間それぞれ神経の通っている場所がどうやら違うらしい。

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人間の心って毛細血管のように入り組んでいて、さらに人それぞれ鈍感なところと少しでも痛みを感じるところとある。自分以外の人のその微妙な違いなんて分かるはずもなく、ある程度想像して、この話題は避けようとか気を使ったりするときもあるんだけど、なんかそういうのも自分の勝手でやってるだけで相手は望んでるかどうか分からないし、思いついたことポンポン言っちゃった方がいいのかな?と思うけれど、想像力豊かな私はそういうとき、口数が少なくなるのかもしれない。

けれど、幾つになってもちょっとしたことで傷つくティーンエイジャーのような自分自身をかなり可愛く思ってもいて、それもまあかなり歪んだ自己愛のような気がするけれど、とりあえず髪の毛から爪の先まで全て使い切った人生を送りたい。

そういうわけで歪みきった心身をたまには正すために、やっぱり御苑でストレッチは実行すべきだな。

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