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「ここは日本の小劇場だよ」

知人が出ている、ある演劇を観ました。

ベースはコメディだったのだけれど、作家の方の演劇への愛とそれに向き合う苦しみが、前に前に出ているようなシーンや台詞がたくさん描かれていました。

「しっかり向き合って芝居をつくろうと思ったら、1年に2本が限度だよ」
「ブロードウェイの作家は3年に1本だ」
「ここは日本の小劇場だよ 休んでいる時間なんてない」

うろ覚えですが、こんな台詞がありました。

とても悔しいと思いました。

日本の劇作家は、とにかく速く、生み出さないといけない。向き合う時間より、とにかく公演を打つ。

人によりけりかもしれませんが、日本で演劇をつくっていくには、そういうふうに思ってしまう側面も少なからずあるのだと思いました。

また、友人から聞いた話や、役者さんの発信されていることからも、1~3カ月の拘束がありながらもお小遣い程度のギャランティしか出なかったり、その作品に出たというブランドになるからとギャランティどころか出演料を払ったりというのが現実です。

もちろん売れれば、人並み以上の稼ぎなのでしょうが、売れる前にはほとんどの役者にその現実があるわけです。

私自身も、7歳のころから、役者、公演企画、制作、そのほかスタッフ、当然観客としてもなどさまざまなポジションで十数年演劇に関わってきました。

簡単な言葉ですが、私にとってつくることも演じることも観ることも、すべてが心を救ってくれるものですし、演劇に関わるほとんどの方がそうなのではないでしょうか。

演劇という表現がなくなることはないと思いますが、演劇に向き合う人や空間や時間が減っていくことも想像したくありません。

この先は実感がないと、あまり何を言っているかわからないかもしれませんが、ふうんと思っていただければ幸いです。それでも、私はこの可能性を信じて動きたいと思っています。

演出家(特に小劇場演劇)と経営者(特に社会起業家)はとても似ています。役者と社員も役割が似ています。この人たちが、まずは同じ空間を共有し、対話ができる場をつくりたいのです。

社会に価値をうみ、人を喜ばせる企業に、資金が集まります。彼らは事業を通して社会に向き合い、メッセージを発信し、課題にアプローチします。

演劇も社会にはびこる不協和音や葛藤を、音楽、言葉、美術、舞踊、照明などほぼすべての表現形態を総動員して、強いメッセージを発信しますが、資金は集まりません。

ときに同じ課題と目線をもち、そこに向かっているのに、演劇は投資されないのです。

このとき、投資家や企業を責めるようになりがちですし、企業の場合、文化芸術への投資にあたり意思決定、説明責任の壁を乗り越えられないということがあると思います。

一方で、大きな懸念として、文化芸術側には商業嫌悪があるように思っています。文化芸術への従事は就職や起業と相反するものというような雰囲気さえあります。この事実は、一部のビジネスパーソンにもあるでしょう。

小劇場演劇(学生演劇)と、企業の経営やインパクト投資に関わる一個人として、このことがより広く見てもそうであるならば、素直にもどかしさを感じます。

文化芸術への投資がまっとうに評価され、文化芸術を取り囲んだ経済圏ができていくことに少しでも貢献したいと思いますが、まずは人と人の垣根だと感じます。

いきいきとつくり、演じ、はたらく人々のすがたを夢見ています。

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