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「命どう宝」を思い出した沖縄慰霊の日

今日は新宿駅南口であった琉球解放デモに参加した。雨の中だったけど、徐々に人が増えてくのが嬉しかった。それと同時にパレスチナ連帯デモの参加者の数と比べてしまって、社会問題の構造のインターセクショナリティ(交差性) を改めて認識しなければならないとドキッとした。

パレスチナと同じ熱量で、ミャンマー🇲🇲、コンゴ🇨🇩、スーダン🇸🇩、香港🇭🇰、ウイグル、沖縄、アイヌ、在日コリアン、挙げたらキリのない、社会に傷つけられている人たちにわたしは連帯できていない。
いじめ、障がい者差別、アイヌの遺骨問題、部落差別、入管問題、. . . まだ学べていないことが多すぎる。
一つ一つ焦らないで向き合おうと思うときと、全部全部急がなきゃって思うときと、感情がぐちゃぐちゃ。

今日のデモのスピーチでメモを取った言葉は、過去の戦争と向き合い、沖縄を知ることが「自分たちがどう未来を生きたいか」を問う行動だってこと。
沖縄の地上戦では県民の4人に1人が命を落としたと言われてて、苔を食べて飢えを凌ぐとか、山の中を逃げ回って、ガマの中で集団自決とか、悲惨な歴史として片付けるのじゃなくて、ここから何をわたしたちは学ぶんだろう。
今の日本は、もう戦争は起こらないって断言できる国. . . ?

そのあと「骨を掘る男」(奥間勝也さん) をポレポレ東中野に観に行ってきた。戦争で亡くなった方々の遺骨を掘り続ける具志堅さんの言葉。

「戦没者に対する一番の慰霊は、ニ度と戦争を起こさないこと」

今も探せば戦没者の骨が発見される沖縄南部で、土の底に命が眠っている場所で、具志堅さんは掘り続けている。骨を探して欲しいっていう遺族と一緒に探しに行って、お祈りしてた。

その土が、辺野古基地 (新しい米軍基地) の埋め立てに使われるらしい。遺骨がまだ混ざっているかもしれない土を、基地建設のために使うらしい。防衛省は「土砂の調達先は決まっていないが、遺骨の問題は真摯に受け止める必要がある」って、やめるって言ってくれないらしい。

基地って本当にわたしたちのことを守ってくれるのかな。というか軍備拡大以上にできる安全保障ってもっとあるんじゃないのかな。ないのかな。

そして、沖縄ばかりに基地の負担をさせて、第二次世界大戦と同じことになるんじゃないのかな。本土上陸を防ぐために沖縄の人たちが亡くなっていく、そんな構造にわたしたちは黙ってていいのかな。

平和の礎には日本だけじゃなく、米軍の人や台湾と韓国から連れてこられた人たちの名前も刻んであるらしい。

高校2年生の時に修学旅行で沖縄を訪れたときのことを思い出した。美ら海水族館、パイナップルパーク、ヒメユリの塔、ガマ、あと米軍基地の見学も行った。
あの時はぼんやりと平和を願うことしかできなかった。けど、今は違う。

戦争と日常は地続き。

「命どう宝 = 命こそ宝」

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