あのとき恋に悩んだことさえ、今となっては羨ましい。
人を好きになるとき、
自分と相手が釣り合っているか、
考えてしまう癖があったが、
そうやって恋愛に悩む昔の自分の姿は、
今となっては羨ましいものである。
化粧さえしない、
めんどくさがりで、
愛嬌もない、
地味な私が、
あの人を好きになる資格はあるのだろうかと。
綺麗で可愛くて元気な女の子は周りにたくさんいるのに、
こんな私が好きになる資格はあるのだろうかと。
自意識過剰なくせに自信の無い私は、
好きな人ができるたびに、こう思った。
そんな当時の私は、
あの子を振り向かせようと、
あれこれとやってみたけど、
最終的に、
そんな自分に疲れてしまっていたのは、
今となってはいい思い出かもしれない。
ダイエットをしてみたり、
髪の毛を整えてみたり、
愛想をよくしたり、
実は、あの子のタイプなんて知らないけど、
せめて周りの子に合わせようと努力した。
でも一定の時間が過ぎたころには、
私は「あの子が好き」よりも「疲れた」の感情が上回ってしまったのだ。
私はあの時、
「人を好きになっては疲れる」ということを、
何度経験しただろうか。
人を好きになるということが、
自分を疲弊させるなら、
「人を好きになる」こと自体私にとってダメなのかもしれない。
そうやって、もう恋なんてしないでおこうと、
好きになりそうな気持ちを抑える。
このように、
好きな人がたくさんいた昔の初々しい自分が、
今となっては微笑ましい、というか羨ましい。
当時のように、
簡単に恋に落ちることもなくなってしまったから、
そもそも好きな人なんてできない。
というか、今は人よりも自分。
この複雑な社会で生きていくためにも、
人のことなんて考えてられないではないか。
にしても昔の初々しい恋というのは、
その時は悩ましかったが、
今では簡単にできないものだから、
羨ましいものである。
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