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問わず語りスコットランド

留学日記的なブログには一定のあこがれがあるものの、そんなにマメでもないし、「留学生の『貴重なる経験談』を特別に教えます☆」みたいなスタンスも嫌で、それでも何かしら見たり読んだりできるものにしたいと思っていた。だから役に立つやつではなくて、ここに来なければ知りえなかったようなことを自分宛てに淡々と記録してみたい。だからキラキラもしていないし、分かりやすい困難と挑戦と奮闘があるわけでもない、言うなれば「エディンバラの平熱」(鷲田の『京都の平熱』のパクリ)。

留学生活も半年を超えれば、毎日が驚きの連続ということもないし、課題で毎日死んでいるというわけでもない。初日は授業についていけなさすぎて帰り道に泣いた、というドラマチックなこともない。そもそも、高校生じゃあるまいし、1年弱の留学ごときで180度変わるようなナイーヴな価値観は失ってしまったのだ。大学生が「高校生じゃあるまいし」と言うのは、おとなの方々からしたら幼稚園児が「もうあかちゃんじゃないもん(。-`ω-)」と言っているのと同じに聞こえるかもしれないが、ここには結構な溝があるとわたしは思う。
それはさておき、もちろん日々新しい概念に出会ってなるほどと思ったり、友達との「常識」の違いに愕然としたり、気づいたら日本の特定の側面が生理的に無理になっていることなどはあるものの、留学について一言でと言われれば「言葉さえわかるなら住めば都」という寝ぼけた感想しか出てこない。

それでも、生来の観察好きのおかげで細かいことに驚きを見いだしながら楽しく暮らしている。授業もすべて対面になった。

異国の地に暮らすと、まあベタなのだが、いかに自分が世界について・あるいは日本について無知かというのを気持ちよいくらいに実感する。言葉もそう。英語はもとより、日本語のこともぜんぜんよくわかっていない。おもしろすぎる。


「カルチャーショック」やいずこ

「カルチャーショックを受けたことは?」というのはよく聞かれるのだが、英語を喋れるということはその国のことも知らなくはないわけだし、そもそも国が違うんだからこっちにはこっちのルールや感覚があるでしょう、くらいにしか思っていない。ので、基本的にはイギリス人が喜びそうな答えを用意しておく必要がある。ちなみにわたしがよく使うのは以下で、尺に応じて①(短)→③(長、エピソード込)を使い分ける(笑)

  1. 傘をささない・みんなよく呑む

  2. お店に入ったときに、店員さんに挨拶を返す・電子レンジが必須キッチン用品だという感覚がない人がいる・製品包装が全然ユーザーフレンドリーじゃなくて、例えばピザチーズのジッパーが死ぬほどあかない

  3. 電車がめちゃくちゃキャンセルになる。1本とかじゃなくて、帰れなくなるレベル。大学のストもいっぱいあって、迷惑だが労働者の意識がすごいのは確か。

というか、以下に書いていく全てがカルチャーショックといえばカルチャーショックである。ショックというよりは「なるほど」なのだが。カルチャーなるほど。

まち

どこの都市にいても、まちを歩くのは楽しい。
でも、エディンバラは格別だ。
エディンバラは歴史的な都市として知られていて、どこを歩いても石造りの美しい建造物、荘厳な教会、ふと目線をあげれば崖に堂々と聳えたつ城が目に入るし、ミステリアスで心惹かれる小道にだって事欠かない。かと思えば、旧市街いちの目抜き通りからは海も望めるうえ、手軽にハイキングを楽しめる「アーサーズ・シート(王の腰掛)」も中心街からほど近い。寒いことの代償に、よく晴れた日の夕日はピンクとも紫ともつかない幻想的な色で燃える。ああ、こんなところにあたしはずっと住んでみたかった。

珍しく早起きした日の朝焼け。
ほた~るの~ひか~り、まど~のゆ~き~~、はスコットランド民謡(新年の歌)
旧市街の目抜き通り、Royal Mileにはこんな小道がいっぱい。
キャンパスからジムに向かう道。左手に見えるのがアーサーズシート。


そのなかでも特筆したいのが、緑についてである。
エディンバラのまちには、いわゆる街路樹が少ない。あるにはあるのだが、道沿いにというよりはちょっとした広場など民家がなくて車の通らない場所や墓地、公園に緑がまとめられているような気がする。日本では都会でも景観を良くする・交通安全・環境保全などの名目で街中に樹が植えられているが、虫はつくし鳥も来る、落ち葉が排水溝に詰まる、根が道路を破壊するなどさまざま弊害もあるし、管理費もバカにならない(たとえばわが故郷横浜市は、H29に14億円超を「街路樹管理事業費」として報告している)。

こちらは京都市に寄せられたさまざまな苦情。色んなことに人は困っているんだな・・・

街路樹の代わりにエディンバラには、the Meadowsという規模感のバグった緑地がある。調べてみたら22ha(66,550坪、東京ドーム5個弱)もあるらしい。Holyrood Parkというでっかい森も駅から10分やそこらの距離にあるのだが、そちらは郊外の方まで広がっているから理解できるとして、このメドーズは端から端までみんなの生活圏内にある。
公園と呼ぶにはがらんどうすぎ、空き地と呼ぶにはあまりに空きの部分が大切にされすぎている、魅惑的な原っぱである。

Meadows
雪の翌日

芝は冬でも青々と茂っている。この草がまたとんでもなく柔らかい。芝なら実家の庭にも生えているが、見てくれはいいものの実際に歩いたり寝転んだりすると足裏や背中がちくちく痛い。それがない。
曇天が多くて湿っていることが多いのと、そもそも4-8月以外は寒くて外でじっとしているにはちょっとした覚悟がいる、ということを除いては、読書してくつろぐにもピクニックするにも最高の原っぱである。犬の散歩をする人がいたり、子供がサッカーしていたり、トレーニングしていたり、カップルがくつろいでいたり、定義されない場所ってとてもいい。レストランはほとんど予約制だけど(昼でも予約してます?と聞かれることがある)、予約のできない場所をだいじにしたい、とわたしは思う。
テニスコートだって14面もあるぞ。(雨が降っていても気にせずテニスしているところがイギリス。)ちなみに上手い人がガチで打ち合っているのをあまり見たことがなくて、嬉しい。テニスは普通のラリーができるようになるまでが一番難しくサーブでも打てるようになれば一人前なのだが、そうだよ上手くなくたってみんなに気軽にあそんでほしいんだよ、と思う。誰目線?
ちなみにこのメドーズ(+道路挟んだ向かいにある緑地)の管理費を調べてみたら、計画ベースではあるが124,425ポンド/年(約1,900万円)だった。ふむ……。気候も違うし、都市計画に明るくないので大したことは言えないのだが、街中にランダムに木を植えるより、こういう潔い緑の空間がある方がいいのかもしれない。

みんなやっぱり紅茶がお好き

行っている教会で礼拝の後に、学生ランチ会のようなものがある。食後はだいたい、誰かが「紅茶かコーヒーいる人~?」という感じで募ってまとめて持ってきてくれるのだが、全員ティー、ということも珍しくない。それを見越して、コーヒーのポットは1つしかないのに対し紅茶のポットは4つほど用意されている。イギリス人のお宅にたまにお邪魔しても、どのおうちでも10種類以上の紅茶が取り揃えられていて、好きなティバッグを選んで!と言われてわたしはいつもキャッキャッとなる。が、当人はとくに自慢のコレクション、という感じもなく、いろんな紅茶が常備されているのは本当に普通のことなんだろうな、と思う。
どの家庭でも人気はやはりイギリスの2大庶民派紅茶、Yorkshire TeaとTwinings。わたしはミルク入りのYorkshire Teaが大好きだ。スコットランドの軟水で淹れた少し渋いお紅茶を、濃厚なミルクでやわらげる。これほどイギリスを感じることはない。ちなみにイギリスで最もポピュラーなBlack tea (英ではBlack tea=単にフレーバーを付けていない紅茶のこと)はEnglish Breakfast Teaで、そういえば大学から最初にもらった10日間の隔離ミールパックのなかにもTwiningsの大箱が入っていたっけ。

単に好まれるという以上に、紅茶は文化的な意味合いも孕んでいる。
ロンドンのお宅に2泊ほどさせてもらったときは、市中であそんできてなにか手土産があるといいな、と思ったのでFortnum&Mason(高級紅茶)を買って行ったらとても喜んでもらえた。その流れでギフトについて話していたのだが、やはりちょっとした手土産としての紅茶は典型的で間違いないらしい。人に紅茶を淹れる、という行為も、歓迎やもてなし、いたわりの気持ちを内包するという。
言葉にもあらわれる。今じゃわたしも「直近いつあいてる?」の代わりに「紅茶一杯行ける日ある?When are you available for a cuppa?」である。

Cream Tea (紅茶+スコーン)は紅茶のため、
Afternoon Teaはおしゃべりのため、
High Teaは食事のためのもの。だそうです


英語

愛しのエディンバラアクセント。は置いておいて、なるほどなぁと思ったのは、日本語勉強中の西ヨーロッパ出身の友達が日本人男性と知り合っていい感じになりかけたが、一回ちゃんと話してみたらガチ冷めた、という話。理由は「英語がまずいわけじゃない、とにかく覇気がない」だそう。仕事について聞いても、ふわっとしか答えられない。結婚や子供観や5年後の自分像について聞いても「未来の奥さん次第かな~」。それなら過去や趣味の話はどうだと思って学部生時代に何を勉強してたか、どんなことに打ち込んでいたか、など聞いてみても「う~ん、なんだろう、、」みたいな答えしか返ってこない。かといってこっちに質問してくるわけでもない。なんやねんこいつ!で、終わったらしい。いやこれ、正直こうなる気持ちめちゃくちゃわかる。ってかこういう人、たぶん沢山いるんだと思う。

まず「将来についてしっかり自分の言葉で語れる人の方が少数派」問題。日本では一般的に、将来の話をすると「意識高い」「考えててえらい」とか言われるが、いやいやいや自分の人生に関わることなんでね?それ以外に逆に何考えるんすか?ってわたしも思ってた。別に決まっていなくていいし変わるのも当然のことだ。でも決められないならなぜ決められないのかという理由があるはずなのに、「わかんない」の一言で終わらせようとする、言語化努力をしない。てか「考えたことなかった!」でもいいけどその場で考えるべき!(笑)という話で盛り上がった。(しかしその人もこのコロナ時代にはるばるイギリスまでやってくるだけの熱意はあるのに?という謎は残る)

第二に、これは過去の自分であって身につまされるところでもあるのだが、「セルフプレゼン下手問題」。自分は何を勉強して、どんなことに興味があって、なにを楽しいと思って、美しいと感じて、時間を傾けたいと思うのか・・・つまり自分のことを魅力的に語ることばを持ち合わせていない。趣味はかならずしも人に理解されなくてもいいし、逆に特異であったり極めている必要もない。「映画鑑賞と旅行」でいい(#偏見)。ただ、好きなことについて具体的に語れないというのは熱意のなさを示し、自分は面白みのない人間ですと自ら宣伝しているようなものなのだ。

まあエラそうに書いてはみたが、日本式英語教育を6年間みっちり受けてきた身としては彼の気持ちは痛いほどわかる。
リーディングに全振りした日本の英語教育からすっぽ抜けているのはまさにこの部分なのよねえ。日本の英語教育について別にそんなに興味があるわけではないが、肯定意見として「文法+語彙中心の教育は学術論文を読みこむのに大事だから悪くない、口先だけで喋れるようになってもしょうがない」みたいな論調をたまに見る。でもねえホント、海外に出るなら読めるだけじゃまっっっっっったく意味がない。それは痛感している。で、日本の中だけで日本人とだけ英語使うって、、どういう状況??なわけで、つまり口先だけでも喋れるようになってからその先のこと考えましょ、がわたしの考えである。論文がしんどければ翻訳でもかけたらいいんじゃないですかね。

まず自分がなにを考えているのか話せること。そのためには聞けること。そして物事や話している相手に興味を持って、いろいろなことにひっかかって、その疑問を言語化できること。目の前の議論に合った具体的な経験談を語れること。最初から難しいものを読んで細かいところまで理解できなくてもいい、「ここまでは分かったんだけど、これってどういうこと?私はこう解釈したんだけど」これが言えれば海外大で立派にやっていける。

ちなみにフラットメイトの一人が偶々日本学科の学生なのだが、1年生の彼はすでに日本の学校英語はカスだということを知っていた。世界に名をはせる日本の英語教育よ。



もう少し英語の話をしてみよう。英語で一番苦労するのは、じつは学術的な会話ではなく日常会話。というのは留学あるあるなのではないかと思う。言語の習得状況をあらわすのに「日常会話レベル」を初学者の同義語と位置づけるのは、金輪際やめたほうがいい。

わたしは社会学の学生なので、授業だったらたとえば社会運動とか移民政策とか、あるいは資本主義がどうのとかそういう論文を中心に読んで話す。そういうのは単語を知っているし、どんな意見が出そうだなとか、こういうセオリーがあってそれに基づいて話しているんだなとか、あたりをつけられる。
でも日常会話は完全にランダムであって、固有名詞も沢山でてくる。頭をフル回転させて情景を頭に思い浮かべながら聞いているが、未だにときどき途中で迷子になっている。

同じような話だが、抽象的な話よりも叙述を読む方が時間がかかったりする。たとえば今学期取っているソーシャルワークの授業で、親子関係に関するケーススタディを読んだ。さまざまな難しい状況にある子供の観察記録みたいなもので、その子が何をしたとかどういう様子だったとか、事実としてはなにも難しいことは書いていないはずなのだ。でもスルスルと読めない。なぜなら単語を知らないから。「窮地を逃れるための巧妙な策略」とか「利他主義」とか「互恵的な」とか知ってても、「赤ん坊がのどをごろごろ鳴らす(gurgle)」とか「軽くゆすぶる(jiggle)」「のたうちまわる(wriggle)」とかわからない。「族外結婚」とか知らなくてもイライラしなけれど、こういう単語に関しては簡単なはずなのにーー!!!!とPCの画面をカチ割りそうになる。

あとは、読んでわかるけどこんな描写絶対できない・・・(絶望)みたいなのもある。たとえば・・・

I placed Kylie on her tummy on a blanket on the floor and got down so as to be alongside her and within her view. She made one attempt to lift her head and there was a slight twist in her torso such that I thought she might be trying to turn over. I made encouraging sounds but she soon flopped her head onto the floor and remained very still, showing no response to my voice (Bower (Ed.). (2005). Psychoanalytic theory for social work practice : thinking under fire. Routledge, p. 53).

The toddler dragged toy boxes off the shelves, bustled around the playhouse and made loud noises with pots and pans. She went to the book corner and took one from the display, carrying it half way across the room towards the life-sized teddy before allowing it to slip from her fingers. She threw herself into the arms of the teddy, then got up and went back to the toy boxes, rifling through and dropping things to one side and the other without looking at them. Her brother caught her as she went passed and tickled her and she giggled obligingly (ibid, p. 55).

これを読むと、直訳できてもダメ、ということがよくわかる。
英語の表現で人をうなずかせたいなら、英語の表現体系をインストールしないとだめだ。(言語学的には統語論syntax的な違いということになるのでしょうね、これは。一生かけてやっていこう・・・。)同様に、日本語でも表現を磨くことを怠っていたら、あっという間に文章など書けなくなってしまうのだろう。

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楽しくなってつい長くなってしまったが、まだまだ書ききれない、エディンバラおよびスコットランドのいとおしさ。世界一まずい食べ物とされているHaggisはクリーミーで旨い。スコーンは元々スコットランドのもの。ハイランド地方のダイナミックな自然。エディンバラ大学の圧倒的リソース。時々目にする独立運動のこと。日英の人種差別意識における共通点。でもこの辺りで。草々。


たぶんエディンバラで一番美味しいホットチョコレート
独立運動マーチ
格安スーパーLidlにて、ある日の買い物。
・胸肉の方がももよりメジャー、むねの方が高いことも
・スコッチパイ=羊肉のミンチパイ、旨
・ストロープワッフルめちゃうま
・クロワッサンめちゃうま
・栄養表示が細かい
・野菜は安い


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