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【悲報】YouTubeのチャンネル登録者が非公開にできなくなりました。

ついにYouTubeのチャンネル登録者が非公開にできなくなりました。

ずっといい意味で非公開にできるのならば、

いい意味で数字や人の温もりに囚われないことができそうなんだけれど。

事実として、登録者は公正公平に公開されることになった。


YouTubeっていうのは、

【今の自分じゃいけないんだ】

という意識で、挑戦して、

周りを楽しませたり、役に立ったりするものだと思う。

利益拡大の筋道を確定させていて、

毎日それを繰り返すだけだとしても、

今日を支えることは、明日を支えることだと思うし、

継続することで利益が掛け算になるかもしれない。



そのためには、

数字や人の温もり、に囚われてしまうのも

どうなのか、と思う気持ちもいい意味で大切なような気がする。

数字だけに囚われるのはよくないし、

【数字が好きな気持ちもいい意味でわかるけれど】

人の温もりが分かりすぎると、無意識に人の温もりを

かなり求めるようになって、

人の温もりなしには生きていけなくなる【依存】かもしれないし。



155人

と表示されるから、

155 で数字を意識してしまうし

人 の部分で ひとの温もりを連想・イメージしてしまう〜。

155人 という単語に対して

こういう反応が生まれることを

いい意味でなかったようなことにはできず、

わざわざ文章化するのは、

私がいい意味で変わっているからかもしれない。

しかし、155人 という単語に対して

そういう反応が自身に生まれることを

いい意味でなかったことにはできず、

いい意味で書いている。

オフラインでこういう会話をわざわざすれば

なかなか理解されないかもしれないから、

オンラインで書いておく。

いい意味で個性を消してはいけない。

個性を主張するのは、得するためでもなく、

いい意味で得に繋がらなくても、

私たちは生きていることを確認するために

個性を主張しようと思うものかもしれない。

私はそこに、得したい、というエゴも絡み、

個性を主張しながら、得する

方法を常に探しているね。

得したい、というエゴがなければ、

いい意味で何も問題に感じないかもしれないけれど。

何の得にも繋がらないのに、

個性を主張したって

悲しい、虚しい、

と思ってしまう。

そういうエゴがあるかもしれない。

そういうエゴをなくせばいいと、までは思わない。

個性の主張❎得する が生じた時

【私 今 生きている】

という感覚を強く感じるのだ。

得しなくても個性を主張するだけで、

満足な人もいるなら、

私は余計なエゴを持っていると言えるのだろうか。

私は、私を肯定するために、

得する意識が少ない人よりも

得してやろう、

と益々思うのだ。

それ自体は、誰も傷つけていないから、

考え方の自由として、認められるものだと思う。


今日はそのような気持ちで絵を描いた。


目には見えないリーゼントと諸々



ショート動画で描き損じた紙に
つのこうもり(オリジナルキャラクター)と
怪奇なネコと
おかっぱで長身で首長、脚長の男性を
描いた。



⭐️⭐️🗼🔮🌈


楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈