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AIが進化する時代の教育と「まおい学びのさと小学校」の関係について

いよいよ北海道長沼町に「まおい学びのさと小学校」が開校するまであと1ヶ月と少し。
私、村重勝也はその初代事務長となります。何でまた一介の公立高校教員だった私が、畑違いの私立小学校の、それも事務方なんて引き受けることになったかという経緯はべつにして、いったん離れた教育の世界から復帰するにあたりあらためて「教育」と向き合い、考えを整理した上でこの仕事に取り組みたいとは思っている。

そこで、今回は自分がこれからの教育をどう考えていて、それが「まおい」の教育とどこでつながるのか書くことにした。なんと!テーマは「AI時代の教育」である。大きく出たもんだ(笑)

さてさて、昨今話題のchatGPTは現時点のAIの到達レベルを一般人にも手軽に体験させてくれている。人工無脳の時代からこの手のものには目がない私にとって、最近のAIの劇的進化はまさに驚きとワクワクである。(ただ、驚きとワクワクのあとには若干の疎ましさや腹立たしさのようなものが心をかすめるのはなんでだろう…)

そこで、まずは試しにchatGPTへまずはこんな質問をしてみたのである。
「日本の学校教育の問題点とは何か?」
少し待つとAIはこんな回答文をよこした。

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日本の学校教育には、以下のような問題点が指摘されています。

1 偏重される学力・成績主義
日本の学校教育において、学力・成績が重視される傾向があります。入試や進学においては、特に高い成績を求められ、そのために多くの生徒が大量の宿題や塾通いを余儀なくされ、ストレスや偏った学習が生じることがあります。また、学力・成績以外の能力や資質が見落とされることがあるため、個性を活かすことができないという問題もあります。

1 教育格差の問題
日本においては、教育格差の問題が指摘されています。地域によっては、教育資源の少なさや教育水準の低さなどが問題になっており、学力の差や進路の違いなどが生じることがあります。

1 一律的な教育制度の問題
日本の教育制度は、一律的なものとなっています。つまり、全ての生徒が同じカリキュラムを履修することになっており、個人の興味や特性を考慮した教育が行われないことがあります。また、評価基準も一律的なため、生徒の違いを考慮した評価が行われないことがあります。

1 児童虐待・いじめの問題
日本の学校教育において、児童虐待やいじめが問題となっています。いじめが原因で、生徒の心身に深刻な影響を及ぼすことがあり、教育現場での対応が求められています。

以上のような問題点がありますが、これらを改善するために、教育制度の見直しや教員の育成などが必要とされています。


「はい、良く整理出来ました!」(笑)
たったの15秒でまとめてくれた文章がこれである。教育学部の大学生でもとてもそんな時間でここまでまとめるのは不可能。個性的とは言えないけれど十分優等生的な答え方だと私は思う。でもここではこの回答の内容や出来映えについては問題にしない。AIのレベルがここまで来て、今後さらに指数関数的に進化するはずだと言いたいだけだ。(もしまだ、chatGPTを試してないなら、ぜひ一度登録して、いろいろ質問してみてください。これまでのグーグル検索と違い、検索が対話に近づいてきたことを実感してください)

これは、近年のAIによる文章生成能力の劇的な進歩が可能にしてくれた結果なのだが、それ以前にネット上にあふれる無数の情報をAIの頭脳が適切な形で格納し瞬時に取り出せる技術がすでに確立されているということでもある。2045年のシンギュラリティの到来をいよいよ現実的なものとして考える人もこれからはきっと増えてくるに違いない。

そこで、私が以前から考えていたこと、シンギュラリティが来るという前提で今後AIの進化と実用化にともなって教育の世界に生じる変化みたいなことを整理したいと思ったのだ。整理といっても、chatGPTのように的確にまとめるだけの能力も時間も今の自分にはないから、覚え書き程度に羅列してみるだけなのだけど…(すでにchatGPTに白旗状態だな、とほほ )

結論から言えば、これまでの教育のあり方が根底的に揺さぶられるのは確かだと思う。今必死にがんばっていることの多くがあっという間に陳腐化してしまう可能性もある。私はそう考えている。ともあれAI時代の教育が具体的にどうなるのか思いつくまま箇条書きにして「まおい」の教育との関係に触れてみる。

1. これまでのような学校の先生はいらない。ひょっとすると学校さえいらない。
(だって、知識や情報を伝達する(教える)だけの役割なら、教師何人が束になってかかってもAIにはかなわない。だから必然的にこれからの教師は「教える」のではなく、「私はこう思うが、君はどう思う」というスタイルになるはず。つまり「まおい」のような「先生と呼ばれる人はいない」「教えない教育」が主流となるはずなのだ。人間同士の「対話的・主体的な学び」はひとまず重要だということにしておく)

2. AIが人間を越える知識を蓄積した時代に知識を蓄積することにはほとんど意味がなくなる。それとも、AIに知識を授けられ、それを「まねぶ」という屈辱的な道を選ぶのか?機械の真似をして何が楽しい?
(つまり蓄積した知識を数値化するようなテストや通知表はほとんど意味をなさないから、「まおい」のようにテストも宿題も通知表もないスタイルが標準になるんじゃないの)

3. 重要な能力とは「問題を解決する力」よりも「問を発見する」力になる。
(最適解を求める能力はAIの得意とするところなので、いずれ人間を追い越すだろうが、人には全くのゼロといってもいい状態からでも問いを発することができるという特技(荒技?)がある。まさに「まおい」の子どもたちにはこの力を育んでもらいたいのだ)

4. 多くの人にとって大切なのは、専門的な知識ではなく、基本的で総合的な力であり、その礎となるのは想像性を豊かに内包した言語能力(読解力)である。
(文学部國文学科卒の自分としては教育においてこれからの時代こそ「小説を読め」というのが常識になると思いたい。学びのほとんどはそこから得られるのだよ!だから「まおい」の子どもたちは一日中、本を読んでいても良しとする!ダメ?)

5. 多様性を認める力(寛容さ)、自分と他者を信じ切れる力と、逆に自ら失敗したりだまされたりしたとしても立ち直れる力(レジリエンス)が、より大切な資質となる。
(これは大人になったときにしっかりと身につけておいて欲しい力だけど、これも「まおい」の教育の中で存分に培われるものと思っている)

6. 生身の体験とそれにともなう感情の実感、さらに、一人ではなく協働体験から生まれる共有感覚の体得が「学校」あるいは「教育」の存在意義になる。
(「まおい」がひたすら体験を重視するのは、本当に教育の中で大切なことはそれだけになっていくことだろうと信じているからです。これはね、ちょっと極論を言いますけど、ひいてはそれこそが世界平和と地球の存亡に関わる意義をもたらすと内心本気で思っているのです。でなければ、AI時代の悲観的側面(暗黒面)として、多くの人間が引きこもり化するか、殺し合いに走るかという悲惨な時代を導く可能性だってけっして否定出来ないからです。キャー、恐ろしい!)

まじめなことをいっているふりして、ふざけているみたいだけど(逆かな?)、ただすべて率直に感じていることではある。言葉足らずで伝わらないのは承知の上だが、「まおい」のめざす教育がまちがいなくこれからの教育の方向性にシンクロしていることは確信している。そうでなければ私はこんな場所にはいないはずなのだ。

思えばそれは私にとって今から20年以上前に神戸甲北高校総合学科を推進したときに持った思いと軌を一にしている。あのとき、高校教育をひっくり返すくらいの勢いで取り組まれた先進性がもし今も広く行き渡っていたなら、大げさだけど日本の現在はもう少し明るく夢が広がっていたのではないかな。だって、本気で偏差値教育を打破しようとしたのだから。いや実際一時的には打破もしたのだから。残念ながらその後のあまたの試みもあの改革のいいとこ取りのつまみ食いがほとんどで、結局今も教育の本筋は変わっていないのだけど。

まおい学びのさと小学校は、教育の転換点に彗星のように現れた学校だ。後の人にそんなふうに呼ばれる学校にしたいものだ。本気でそう思う。でも私の考えるようなことなんて、ありえない、間違ってる、嫌いだ、っていう人もきっとたくさんいる。当然だ。未来の話だし。なので、学校始まったらぜひ学校を見学に来て欲しい。できればそこで議論が深まればいいなと思う。極論は議論のとっかかりとして悪くない。


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