魔王源

禅プログラマー。

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思考はクソである。

思考はクソである。よって、今こうして書いている文章もクソである。思考の99.99%は役に立たない。それどころか有害である。0.001%の思考。その程度のほんのわずかな思考には辛うじて意味があり、生活に役立つ便利アイテムを生み出したりする。その0.001%の積み重ねが、数万年の時を経て文明を作った。 なので、我々が日々考えている思考の99.99%は無意味どころか有害である。こんな文章も本当は書かないほうがいいのだが、書いている。なるべく考えないように、思いついたまま手を動かす

    • One at a time. (いちどにひとつずつ)

      「いちどにひとつずつ」の重要性はどれだけ強調してもし足りない。 私たちはマルチタスクの罠にはまっている。あまりに多くのことを同時にこなそうとする。テレビを見ながら朝食を食べ、スマホを見ながら通勤電車に揺られる。同僚と会話しながら午前の仕事をこなし、同僚と雑談に耽りながらランチを食べる。雑談が途切れると、今度はスマホでニュースチェックを始める。食後はコンビニに向かう。その間も歩きスマホだ。そしてコーヒーを買いながら(店員さん可愛いな)と妄想に耽る。 仕事場に戻る前に煙草を吸

      • 「タイパ」について

        タイムパフォーマンスの追求がどのような結果をもたらすかを知りたければ、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読むといい。読書というものは基本的に無価値だが、この児童文学は例外的に価値があるような気もする。すくなくとも、ゴミのようなビジネス書や自己啓発書を読むよりはずっと役に立つ。 この地球上に存在するすべての知性体は、原則、マルチタスクができない。現代の高性能なコンピュータは同時に複数の仕事をこなしているように見えるかもしれないが、実はシングルタスクしかできない。タイムシェアリング

        • 努力は無駄。

          だからといって努力しなくてもいいということにはならない。夢や目標を叶えるために努力するんじゃない。暇を潰すために努力を続ける必要があるのだ。 ちなみに「賢い努力の仕方」などというものはない。努力とはひたすらに泥臭く、非効率なものであり、スマートさの欠片もない。「スマート」という触れ込みで世に売り出されるすべての考えはクズであり、その場しのぎの絆創膏にすぎない。地味で退屈なルーチンの繰り返しの中にしか本当の意味での成長はない。さらに言えば本当の意味で成長したとしても無意味だ。

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        思考はクソである。

          継続は無力なり。

          この宇宙に「神」という存在があるならば、この世に存在するどんなものよりも皮肉屋だろう。それゆえに、この世界を理解しようと思ったら、とことんまで皮肉屋にならなければいけない。皮肉こそがこの宇宙の本質なのだ。そう信じている。まあ僕は無神論者なんだけど。 そんなわけで3日もブログを続けてしまった。表題通り、継続の力など信じていない。信じていないがなんとなく気になるので書いてしまったのである。まったくもって僕というやつはおめでたい奴だ。その痛ましい努力に涙がちょちょぎれる。 仏教

          継続は無力なり。

          自己実現という不毛

          はじめに。この文章は人に読まれることを前提にしていない。誰かに理解されようと書いているものではないから、理解されようと努力もしていない。ただ可能な限り正確に頭に浮かんだ言葉をトレースしようとしているに過ぎない。したがって、こんなものを読むのは時間の無駄だ。 とはいえ、そもそもどんな文章を読むことも時間の無駄なので、別に読んでも読まなくてもかまわないと思う。 それにしても人間はどうして自己実現しようとするのか。そういう自分だって、こうして文章を書いているということは、どこか

          自己実現という不毛

          もう何度目になるかわからないけれど。

          ブログを書いてみることにした。自分のための文章を、手書きではなくコンピュータを使って書くという作業をやってみるということだ。別段意味はない。タイピングよりは複雑なパターンで文章を打つことになるので、指の体操にはなるかもしれない。むしろ腱鞘炎になるかもしれないけれど、まあ今はそんなことはどうだっていい。考えすぎても仕方ない。 近頃は自分に「誓いを立てない」という誓いを立てている。何かをルーティンワークとして行うようなことを己に強制しないということだ。それが何の意味ももたらさな

          もう何度目になるかわからないけれど。