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「タイパ」について

タイムパフォーマンスの追求がどのような結果をもたらすかを知りたければ、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読むといい。読書というものは基本的に無価値だが、この児童文学は例外的に価値があるような気もする。すくなくとも、ゴミのようなビジネス書や自己啓発書を読むよりはずっと役に立つ。

この地球上に存在するすべての知性体は、原則、マルチタスクができない。現代の高性能なコンピュータは同時に複数の仕事をこなしているように見えるかもしれないが、実はシングルタスクしかできない。タイムシェアリングシステムという手品を使って、あたかもマルチタスクをこなしているように見せかけているだけだ。舞台裏では複数のタスクを細切れに刻んで、それらを順繰りに実行している。結果、傍から見るとマルチタスクがこなせているように見えるわけだ。

人間にも同じことが言える。マルチタスクを難なくこなしているように見えるマルチ人間は(こんなふうに言うとマルチ商法にハマった人みたいに聞こえる。まあ似たようなもんだ)コンピュータと同様、タイムシェアリングの手品を使ってマルチタスクに見せかけているだけ。頭の中ではシングルタスクを実行しているというわけである。

この腐りに腐りきった資本主義社会を生きていると、マルチタスクを要求されることがある。金を持った権力者のおじさん、おばさんたちは、マルチタスクは努力次第で可能だと信じている。

こういう連中は人をうまく使えとか任せる技術を学べとか最優先事項を特定し、そこにフォーカスしろとか、クソみたいな理屈をこねて我々にマルチタスクを強要してくる。

実はこの連中だって、上の連中からマルチタスクを強要されている。つまりこいつらも被害者ななのだ。上流工程のマルチタスクの強要が下流工程に流れていく。この負の連鎖こそが、経済活動の本質なのだ。ウザいけど。

この負の連鎖を回避することは不可能に近い。本当に回避しようと思ったら、山に籠って修行し、霞を喰らって生きる仙人になるよりほか道がない。そんなのは嫌なので、我々はマルチタスクができるふりをして生きるしかない。

以下を覚えておくと、少なくとも気は楽になると思う。

・マルチタスクは不可能である。
・マルチタスクどんな知性体にも不可能である。人間にも、機会にも無理。
・できるのは、シングルタスクをマルチタスクに見せかけることだけ。

大切なことは、今という瞬間、ひとつの作業に集中することだ。

どれだけ多くの作業を抱えていようが、いちどにやる仕事はひとつにする。その仕事に区切りをつけるまでは次のタスクに移らない。これを徹底しよう。中途半端に複数のタスクに手を付けると、脳が混乱する。結果、ミスと手戻りの嵐となる。そうなれば生産性は落ちる一方である。

大事なことなので、繰り返しておく。

1.いちどに、ひとつのことだけを行うこと
2.1を徹底すること

これを守っていると、不思議なことに周囲から「マルチタスクをこなす人」として崇められるようになる。シングルタスクしか実行できないことを理解すればするほど、傍からはマルチタスクをこなしているように見えるようになるのだ。

この宇宙は皮肉でできているので、こうなるのは仕方ない。
ウザいけど。仕方ないのである。

ん、タイムパフォーマンスの話をしようと思っていたのに、いつの間にかマルチタスクの話にすり替わってるね。

まあいいや、直すのもめんどくさいし、このまま上げちゃおう。

じゃ、また。


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