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継続は無力なり。

この宇宙に「神」という存在があるならば、この世に存在するどんなものよりも皮肉屋だろう。それゆえに、この世界を理解しようと思ったら、とことんまで皮肉屋にならなければいけない。皮肉こそがこの宇宙の本質なのだ。そう信じている。まあ僕は無神論者なんだけど。

そんなわけで3日もブログを続けてしまった。表題通り、継続の力など信じていない。信じていないがなんとなく気になるので書いてしまったのである。まったくもって僕というやつはおめでたい奴だ。その痛ましい努力に涙がちょちょぎれる。

仏教の神髄は「無常」「無我」「苦」である。まったくなんと悲観的な思想だろうか。仏陀というやつは神に次ぐ皮肉屋だと言える。彼も無神論者だったので、実質宇宙一の皮肉屋ということになる。

皮肉であるということは、ニヒルであるということだ。
ニヒルであるということは、現実的であるということだ。
どれだけ残酷な妄想をしたって、現実の残酷さには叶わない。この世界のありのままの姿、あるがままほど容赦なく残酷なものなんてこの世にはないのだ。

そんなめちゃくちゃな現実に対処するために産み出されたのがヴィパッサナー瞑想である。少なくとも僕はそう理解しているし、本当のところなんてどうだっていい。正確な理解などクソだ。「無常、無我、苦」というこれ以上ないくらいミもフタもない思想は、そう語っている。

僕がそう思うんだから、そうなのだ。すくなくとも僕の中では。

ヴィパッサナー瞑想を極めた者はその大半がとんでもなくいやなやつになる。クリシュナムルティも、スマナサーラも滅茶苦茶嫌なやつだ。でもそれでいいのだ。誰にどう思われようが構わない。そんなふうに割り切って、割り切って、極限まで割り切ったとき、開ける道もあるのだと思う。

そんなものないかもしれないし、あるかもしれないし、あろうがなかろうがどうだっていいわけだけれど、とりあえず笑って今日を終えたい。

生きとし生けるものが幸せでありますように。


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