もはや恋しかしたくない
毎日毎日激しい感情の波に揺さぶられ続けて、常にうっすら船酔いしているみたいに具合が悪い。なるべく普通の人間らしく過ごしていたいのに、内面がいつもそんな調子だから、日常生活の中のちょっとしたことですぐに我慢ができなくなってしまう。そして勝手に怒り狂って、周囲の人間のことをメチャクチャに振り回して、振り回しておいて、まるで自分が被害者であるかのように周囲の人間を非難してしまう。
私という生き物の根源は「怒り」なのだと思う。昔からずっと、私は自分や自分に関わるすべての人間に対して消化できない怒りを抱え続けている。家族であろうと友人であろうと、私は彼らが私の前で見せる何気ない言動や生まれ持った性質を許容することができない。
こんなこと言ったら友人なんか1人もいなくなりそうだし、現時点で既に普段から交流がある友人なんて片手で数えても指が余るくらいだ。仲良くしたい人がいても、交流を続ける中で相手が見せる言葉遣いや振る舞いに許せない部分が増えてきて、仲良くしたい気持ちよりもイライラの方が大きくなり、勝手に疲弊して一方的に関係を絶ってしまう。別に私に切られたところで、相手には私なんかよりももっと素敵な友人がたくさんいるのだろう。だけど私はその相手の許せない部分を責めたくてたまらなくなって、SNSにそれとなく書いたり、共通の友人に相談(笑)したりする。控えめに言って最低だ。それが相手に伝わって相手が悲しんだらそれはそれで狼狽えるのだから馬鹿だなと思う。
この一連の行動に特に深い意味や理由があるわけではない。強いて言うならこだわりが強すぎるところがあるせいかもしれない。自分や他人の立ち振る舞いに自分でもハッキリ自覚できていない「正解」があって、自分や自分以外の人間がそこから外れた言動を取るのが許せない。責め立てて反省させたくなる。反省しろ。間違えた自分を恥ずかしいと思え。私を不快にさせて申し訳ないと思え。冷静に考えれば、イヤイヤお前は何様だよと思うのだが、怒りがピークの時は本気で自分が被害者だと信じている。辻村深月の小説に出てくる他罰的なメンヘラそのものである。
そもそも、私以外の普通の人間は、日常生活においていちいち他人の言動に「許す」「許さない」などと仰々しく判断を下すことはしないのだと思う。私だって、他人の一挙手一投足すべてに「許せない……!」などと怒り狂っているわけではない。私の場合は、他人の言動ひとつひとつが魚の小骨のように自分の内側に刺さって抜けなくなり、それがどんどん溜まっていって、やがて溜まりすぎると何もかも受け入れられなくなってしまうのだ。これは自分自身に対しても同じで、仕事でミスをしたとか、雑談がうまくできなかったとか、友人に余計なことを言ってしまったとか、そういう些細な失敗が喉に引っかかったまま次の失敗を繰り返し、そうしているうちに飲み込むことも吐き出すこともできなくなって爆発する。飲み込めないまま無理に食べ続けているのが悪いのに「こんな骨だらけの魚を出す方が悪い!」と悪質クレーマー並みに理不尽にキレ散らかして周囲を困惑させる。どれだけ噛み砕いて説明したところで、タチが悪いことには変わりない。
それでも、これだけ気性の荒い私がなんでも許せるようになる唯一の存在が「恋人」だ。別に、恋人にならずとも、片思いだっていい。一度好きになってしまえば、どんな態度を取られようと、どんな風に扱われようと全部許容できてしまう。逆に言えば、恋愛対象として好きになれない限り、私は誰のことも許せないのだ。
たぶん、私の恋愛感情はほとんど信仰みたいなものなのだと思う。好きになった相手を神様みたいに扱うわけではなく、恋愛感情そのものに全幅の信頼を置くような感覚だ。「好き」と思った時点で、相手も自分も、無条件で許された状態になる。自分のことも他人のことも信用できないくせに、「好き」という感覚だけは信じることができる。というか、信じたい気持ちが強くなる。「こんなに好きになれたんだから」みたいな気持ちが、普段は過剰に神経質な自分の感覚を鈍らせる。しかもこの鈍化はピンポイントで好きになった相手にしか効果がないので、他の人と接すればいつも通りイライラするし、1人になれば不出来な自分にイライラする。そしてそのイライラが余計に「好き」を加速させ「もう好きな人以外誰にも会いたくない」という、好きになった人への信仰心へと繋がってしまう。
この通り、私は典型的な「恋人ができた途端にそれ以外の人間関係すべてを疎かにするタイプ」だ。同時に「好きになったらもうそれしか考えられなくなるタイプ」でもある。そうなってしまうのは、私にとって恋愛以外の人間関係すべてがちょっとずつ苦痛を伴うもので、恋への信仰心さえあればそういう地味にしんどい現実から逃れることができるからだ。世の中の同じタイプの人間がどうかはわからないが、恋愛脳のメンヘラはだいたい似たような思考回路を持っているのではないかなと思う。偏見だけども。
まあ、ここまで書き連ねたところで何をどうしようということもない。自分が他人を許せないのだから、こういう自分の性質を許してほしいとも思っていない。この文章は思考の整理と自己分析のために書いているので、長々と書いたついでに記事として公開しておこうかな、というくらいの気持ちである。評価されるための文章ではないし、こういう自己分析系の記事にスキするフォロワー以外の人間は正直全員売名目的だと思っている。……この思考が小骨として引っかかっていくのだろうという自覚はある。
もっと楽に生きていきたい。それができないならもう恋愛以外何もしたくない。だけど数少ない友人たちを切り捨てられるほど盲目的な恋もできないから、せめて振り落とされないように理性にしがみつきながら自分の感情の波に揺られているしかない。誰か私に酔い止めをください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?