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ある物を読んで

ある小説を読んだ。今から十年以上前に発刊された小説であったが、時の経過がもたらす不自然さはあまりにも感じさせられなかった。それが心地よかった。

物語は、新歓コンパから始まり、そこに居合わせた男女5人の学生生活を描いた、眩しく儚いものであった。

五人のうちの西嶋という癖者熱男が、四人の日常を掻き回し、めんどくさい事柄が頻発する。しかし、その煩わしさの中に「人生の大切な経験と学び」が絶えず降り注ぐ。

西嶋の異端ぶりに、序盤の四人は怪訝さしか持っていなかったが次第に慣れ、仲間となり、彼の言動の正しさに納得してしまう。それは、厖大すぎるものでありながら、どうしても、根拠のない説得力があるからであった。西嶋自身の身なりは小太りメガネがデフォルトであり、オタクと呼ばれる部類の人間の容姿に近かった。だが、彼の言動力は五人のうちの一人である絶世の美女東堂さんの恋心を揺らすほどであった。

西嶋は戦争に強く嫌悪し、そのまま訴える。

「世界のあちこちで戦争が起きているのにね、俺たちは何をやっているんですか。平和の話をしているんですよ、俺は。呆れててどうするんですか」

この文言が新歓コンパで彼が発した第一声であった。頭のおかしい奴としか新歓では処理されないだろう。

実際、一人の大学生が国と国との戦争を辞めさせることはできない、ということなど彼も知ってはいるが、それを認めないために争う。実際、十年経った今、他国で発生している事象に私自身も悩み諦めたが、忘れず胸に抑え続けろよと言われた気がした。

そして、自然と4人は憎むに憎めない西嶋に対し愛を持って接する。西嶋以外の人間模様も色鮮やかな喜怒哀楽が介在し、それぞれの登場人物を好いてしまう。

5人が出くわす悲劇も歓喜も全て、社会人になる直前の「大学生」という一点に集約されており、春夏秋冬すべてに思い出が有り余る。

こんな学生生活を著者もおくってみたかったのではないかと、勝手に推測してしまうほど魅力的な人生の途中をゆく若者たちにのめり込み、幸せな読書時間であった。

最後の文中に「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」と発されたものがあった。

ここでの贅沢の解釈として、「思い悩めるほど素晴らしいもの」であるというニュアンスが良いと感じた。

贅沢とは羨ましいものであり、それぞれに光るものがある。それはさまざまな「人」がいるからこそのものであって、それぞれに固有の特性をもっており、選択肢が多すぎるので悩むのだ。ということを改めて教わった。人間関係に全てがあるという考えもあながち間違いではない気がした。

是非読んでほしい、伊坂幸太郎さんの「砂漠」という小説。

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