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『そして父になる』

久々に邦画の良作といわれる作品を見たくなり、Amazon primeで視聴。

是枝監督の作品って、重たいテーマを単調に描くイメージがあって、このご時勢あまり見る気にはならないかったんですが(笑)、今日はテレワークなので早めに夕食をとれ、穏やかな平日の夜でしたので視聴!

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新生児取り違えにより、今まで大切に育ててきた息子が、実は赤の他人だったことが物語の始まり。裕福な家庭を福山雅治と尾野真千子が、貧乏な家庭をリリーフランキーと真木よう子が演じます。


格差社会の風刺かとミスリードしてしまいそうですが、どちらかというと、福山雅治が演じる野々村良多が「父になる」までを描いた作品。

生まれるなら金持ちの家庭のほうが良い!と思いがちですが、この作品では、貧しい家庭のほうがよほど家族愛に満ちていて、経済的に豊かな生活が必ずしもいいものとは描かれていません。
だからといって、裕福な家庭の野々宮家も愛がないわけではなく、実の息子と育ての息子との間で葛藤に揺れ動き、これまでの子育てもけして否定できるものではありません。

入れ違っていた慶多と琉晴も、どちらかが特段優れているわけでもなく、慶多にできることは琉晴できないし、琉晴ができることは慶多にはできません。
どちらの家族も間違っていてがあって、どちらの家族も正解なんです。


私も3歳になる甥がいますが、この1か月だけでも大きな成長をみせています。
話せる言葉も毎日増えていくし、ひとりでトイレにもいけるようになりました。

毎日毎日積み重ねです。特に0歳~6歳の凄まじい成長といったらありません。大人の6年とは違うのです。
その6年が無に帰すなんて、途方もない感情になりますよね。

この作品のすごいところは、その過程を言葉にせずとも、役者たちの演技で補完しているところです。

「私が手塩をかけて育てたのよ!」なんてセリフは言いません。
家中に飾られた息子が作った作品を愛おしそうに撫でたり、お箸の持ち方の違いや、ジュースの飲み方。
そういった役者の動きで表現していきますので、セリフで語られない分、観客へ想像の余白を残します。

また、序盤の私立小学校のお受験面接で、高評価を得るために、息子は「父親とキャンプをしたときの凧揚げが楽しかった」と嘘をつきますが、物語の中盤で、二つの家族がキャンプをした際に凧揚げをする描写が入ります。
野々村家は嘘の家族で、斎木家が本当の家族であることが暗に示されますね。

終始そういった描写が物語を紡いでいく上手さは、この重いテーマをエンタメ作品として昇華していきます。

二つの家族はその中で、息子に流れる血と、愛情をもって育ててきた年月との葛藤で揺れ動きます。
ただ一人、福山雅治が演じる野々村良多を除いては。

良多は仕事第一で、家庭を顧みません。息子に対する教育も形式ばったものです。この新生児取り違え問題についても、どこかビジネスライク。
そもそも、生まれ育った家庭に問題があるようで、母親とは血がつながっていなさそうです。実の父親に対しても良い感情は抱いていない。

実の父親のようにはならないと思いながらも、その価値観にしか触れてこなかったせいで、その父親のようになってしまっているのですね。
結果的に、実の息子にも、育ての息子にもそっぽを向かれてしまいます。
そんな良多に対して、妻も不満を爆発させます。

結果として、完璧な家族を演じていただけで、本当の家族の一員ではなかったことが、この事件を発端に浮彫となり、そしてこの出会いから変化していくんですね。

クライマックス、それぞれ別の道を歩いていた良多と慶多が、道が合流するところは、あからさまな演出ながらも、カタルシスを感じました。

「父になる」という変化を、役者の表情や、動き、ひとつひとつのエピソードから感じ取っていけるので、見ていて気持ちいい作品になっています。
とにかく役者の使い方がうまい監督ですね。

子役の自然な演技もさることながら、樹木希林や夏八木勲など大御所俳優陣の配置や、なんといっても福山雅治の演出は完璧です。

新生児取り違えなんて、もうめったに起こらないファンタジーなのでは?と思いつつも、家族のあり方を問う普遍的なテーマに落とし込んでいるところもさすがです。

う~~~~ん、良い映画体験をした一作ですね。

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