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『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』令和時代にふさわしい女性観で気持ちいい!

原作『若草物語』は未読。アニメや映画化もされていますが、すべて未視聴。名前だけは知っているけど、どんなお話か全く知らずにウォッチしてきました。

というのも予告編で心鷲掴みにされたから。

まずはキャストに惹かれた。

我らがエマ・ワトソン、『ミッドサマー』の怪演が光ったフローレンス・ピュー。あと鑑賞後知ったんですが、妖艶な魅力のあるティモシー・シャラメは『君の名前で僕を呼んで』にも出演していたんですね。

あとは予告編の「結婚だけが女の幸せなんておかしい。…でもどうしようもなく孤独なの」というセリフ。

これ、個人的地雷でもあるんですが(笑)
30歳過ぎて独身、彼氏とも別れたばかり。
結婚は、子育て・介護etc..今までの自由な暮らしを捨てることになるし、でも、このまま老後まで自立して働けるほど仕事に身をやつす自信もない。

正直、「好きな仕事をして、それなりに収入を得て、趣味も心置きなく楽しんで、男女問わず理解のあるパートナーと生きていきたい!」のが本音。
でも、今まで描かれてきたフェミニズム作品って「女であることを利用して結婚する」か「女であることを捨てて働き、独身を貫く」しか示されてないんですよね。

「独身であることを決めたなら、孤独を受け入れなさいよ!それも受け入れられないなんて、所詮”みじめな女”ね(笑)」と。
なので当然、この今の私の気持ちも否定されるのではないかと。

フェミニズム作品の先駆者

100年以上も前の作品を、令和の時代になぜリメイクされたのか。

原作者のルイーザ・メイ・オルコット自身がフェミニストの先駆者なんですよね。(wikiみたらぴったり100歳違いで驚き!)
彼女たちがいたから、現代で女性が社会進出しているわけで。

それでも、まだ不十分で、見えない膜がある。
女性たちはまだ、抑圧されています。
最近そういった声が浸透してきているなぁと感じます。
もちろんハリウッドでも。

『若草物語』未読でも見やすい工夫

今回メガホンをとった監督グレタ・ガーウィグ自身、『若草物語』の大ファンらしく、本作も原作にかなり忠実に作られているようです。鑑賞後1949年版『若草物語』を鑑賞しましたが、エピソードはほぼ一緒でした。

ただ『若草物語』は四姉妹の幼少期のお話で、続編では姉妹の成人・結婚やその後の生活が描かれており、本作は『若草物語』の1作目と2作目のダイジェスト版です。
ただ時系列順ではなく、1作目と2作目が交互にインサートされながら進行していきます。

初見では難しいのでは?と評してる方もいましたが、むしろ大人になった四姉妹が現在に直面している問題を、過去の経験をもとに受け止め、向き合っていく様が分かりやすくなっており、序盤からこの四姉妹に感情移入することができました。

あと、カラーグレーディングによって過去と現在の時間軸が視覚的にもわかりやすく表現されていたのも大きな要因の一つです。

とにかく、視覚的に気持ちいいんです。
衣装やセット、風景、演者たち。どのシーンを切り取っても美しい。
このクラシカルな名作をリメイクするなら、それは必須条件なんですけど、
まずそこで成功しているので、この時点で満点なんですわ。


結婚”だけ”が女の幸せか?

さて、本作のメインテーマである「結婚だけ女の幸せ」かどうか。

恋愛結婚の末、経済的困窮を迫られている長女のメグも、作家になることを夢見てありのままの自分で生きることを選択した次女のジョーも、内向的で病気がちだがその慈悲ゆえに死んでしまうベスも、画家になる夢を捨て金持ちの男と結婚したエイミーも、四者四様の幸せが描かれている。

しかし、物語終盤で次女のジョーが幼馴染のローリーのプロポーズを断り、前述の「…でもどうしようもなく孤独!」と吐露し、再度告白しようと奮起するも、ローリーはエイミーと結婚してしまう。そしてジョーはNYで知り合ったベア教授と結婚…

原作未読だったので、おいおいおい!そりゃないだろ!結局ジョーも「結婚しないはみじめ!一生独身なんて強がっても辛いだけ」ってオチなんかい!と、ジンジャーエールをガブ飲みしてしまいました。

ただこれは原作通りの展開、つまりフィクションなんですね。

本作には、ジョーが理不尽な要求を突き付けてきた編集者に反論するシーンがあるが、このシーンは原作小説には存在しない。これはガーウィグ監督がルイーザ・メイ・オルコットの進取の精神を表現するために付け加えたシーンである。このシーンについて監督は「オルコットはジョーが作家になる夢を諦めて、夫や子供たちを支えることに専念するという結末を描きたくなかったはずです。しかし、オルコットは商業的な成功を望んでいたため、世間受けする結末を書かなければならなかった。もし、この映画でオルコットが本当に描きたかった結末を描き出せたなら、私たちは何かを成し遂げたと言えるのではないでしょうか。」という趣旨のことを述べている。

ジョーとベア教授が結ばれる雨の駅舎のシーンに前後して、ジョーと編集者が『若草物語』を採用するにあたり交渉するシーンがインサートされます。

それによって、この結末があくまで「世間受けするための創作」で、この『若草物語』がジョーが自信をもって執筆した”彼女の作品”なので著作権はかたくなに譲らないことで、すなわち女性としての自立したことが強調されます。

なので、ジョーとベア教授を「もしかしたら結婚してないのかも」ととるのも良しなのでは?そこまでは言い過ぎかもしれませんが、この「結婚」も誰かに抑圧されて決めたものではなく、ジョーが選び取ったものととらえることができるのです。


ベスがいなくなり、三人になってしまった四姉妹。しかし、両親とそれぞれの伴侶、子供たちが庭に集まり、ジョーも『若草物語』の成功と、反りの合わなかったマーチ叔母さんが遺してくれたプラムフィールドでベア教授と開いた男女共学の「ベア学園」を創設。

女性としても自立して仕事をし、夢をかなえ、愛する家族に囲まれている。
そこに「孤独」はありません。

結婚”だけ”が女の幸せか?
答えはNO。
けれど、結婚も女の幸せであることは確かです。

女性の幸せの多様性を認めてくれる、一作でした。
このコロナ禍に埋もれてしまうのはもったいないので、みんな是非劇場へ足を運んでいただきたい!


蛇足

フローレンス・ピューを池に落としたり、

フローレンス・ピューに花冠をかぶせたり、

例の映画を思い出すからやめてくれないか(笑)


蛇足2


エマ・ワトソンのキャリアが確固たるものになったなあ、とジーンとした。特に社交場におめかしして現れたシーンは『ハリーポッターと炎のゴブレット』を彷彿とさせて、わっしょい気分。
ますます美人になったぜ、エマ・ワトソン。
あと、ジョーがJKローリングに重なるところもあり、『ハリーポッター』と育ってきたきたアラサー女子にはうれしいところ。

同じくメリル・ストリープ!
マーチおばさんは彼女にしかなしえなかったと思います。

というのも『プラダを着た悪魔』はアラサー女子なら感銘を受けてきたはず。

「女が独りで生きるのは無理、金持ちと結婚して内助の功になりなさい。」の裏に隠された本当のメッセージ。
メリル・ストリープだからこそ引き出せる、「女性としての諦観」があったんですよね。


とまぁ、本作のメインターゲットであろうアラサー女子向けに刺さるキャスティングなんだよなぁ。
グレタ・ガーウィグ監督も36歳と年齢が近いからこそなのかも。
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』キャシー・ヤン監督といい、女性監督たちから目が離せませぬ!

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