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19歳の終点

[何かあったら]

一、非公開アカウントの中身は好きに見てかまわない。なんなら、高野悦子みたいに衆目に晒してもらってかまわない。

二、僕に権利がありそうな感じがあるサークルとか企画とかは好きにしていい。アイデアはコモンにしていいから。

三、せっかくなので僕の処分には使いたいだけの金をつかって。

四、メディアをどう使ってもいいから、僕がいなくて困るような人、少なくとも、何かのチョイスの材料にするような人には事態が伝わるようにして。

五、僕は世界に絶望なんか少しだってしてなかったんだよ。

2023年8月7日

ふと、僕は20になるより前に無意識のうちに自死しちまうんじゃないのかと思って、明日が誕生日なので、自室のホワイトボードに遺書らしいものを書いてからカフェに来た。

さようなら、19歳の僕。

いや死なんが。


20歳になった。去年の9月1日、あれだけ大人になりたくないと喚いていた19歳が、20歳になった。

先に謝っておきたいのだが、僕は先日、高野悦子の「二十歳の原点」を読み終えたばかりである。だから、文体とかそういうものが、遺憾ながら、大きくあれに影響を受けているかもしれない。なんか色々ごめんなさい。

19歳の僕を総括する。

「二十歳の原点」を読んだ。

手に取ろうと思ったきっかけは「立命館民主主義」である。私が1年前の記事で「いちばん中途半端」と評したこの大学(でも、だいすきだよ!)には、全国最大の学生自治組織「立命館大学学友会」がある。

僕の19歳は、この大きなメカニズムに焦がれ、ほだされ、くらいついた1年間だった。もっとこの大学を知りたい。もっと、この大学の学生自治の歴史を知りたい。今、僕が立っていて、僕が頼っていて、僕が動かしていて、僕が追いかけているこの巨大ななにかの原点に少しでも触れたい。そう思って、いろいろと行動をしていると、単に知識としてなんとなく覚えていたこの本の名前がよく目に入る。どうやら教養と思わなければいけないようだ。まぶたを閉じ、開けると、なんと驚き、玄関先にamazonの段ボールがあった。

こんなことを考えていた。20歳になってしまう前に、なんとしてもこの本を読破しなきゃいけない。でなきゃ、僕が20歳になってから最初に読んだ本はコレということになり、きっと、以後の僕の人生(というナラティブ)は、まんまと高野悦子に支配されてしまうだろう。高野悦子ならまだいい。実際には、この日記を独占し、出版し、メディアミックスし、消費してきた独占資本に(おっと?)支配されるのである。なんか嫌だ。僕は僕だ。だとか。

それからの高野悦子との格闘はおよそ1週間続いた。何せ出版されるのを想定していない文章。しかも世界でいちばん重い。読むのにこれほどカロリーのいる1冊は初めてかもしれない。僕が読んだのは、でも、しょせん20歳の誕生日を迎えてからの余命半年の分だけ。全編読み通した人もきっといるんだろうから、本当に人には無限の可能性があるなあ。サークルが忙しくて頻繁に徹夜する日々、陽射しがじりじり汗をひっぱり、日傘もふらつく京都と大阪を行き来しながら読んだ。よく内容が頭に入ったものだ。

感想や考察は本当にいろいろとあるんだけど……

まず、終わり方。なんとオーバードーズして終わりよった。いや死因はODの2日後の鉄道自殺なのだから、ODで終わったわけではないけれども。

しかし、まじか、と思った。というのも読み進めるうち一貫していた印象に「これ、大学生の縮小垢のツイートじゃん……」があったのである。こういうふうにODを実況する大学生、い、いる〜〜〜〜〜〜!!! なんならJKもやってる! 覚えてるもん僕! こういうひと見たことあるよ! マジか〜……と思った。それはとても身近で、とても地続きで、とてもリアリティだ。

「地続きさ」で言うと、現在も立命館に実在している組織や会議と同じ名前が度々でてくるのにはやはり、不謹慎かもしれないが高揚感があった。「学友会」、「文自の大会」、「教学懇談会」、「民青」、「新聞社」(立命館新聞社“事件”を僕はこれを読んで初めて知った。立命館の政治学徒として失格かもしれない)などなど……。イデオロギーから隔絶された健やかなる空気に満たされて、僕らがサークル活動や学びに精を出しているこの場所、枠組み、その論理は、こんなに血みどろで、赤くて、青い世界のうえに建設された塔なのだ。そのページをめくる度、足元をくすぐられるような感がするのをわかってほしい。

一方、では、僕と高野悦子は共通しているだろうか? というと、どうだろう、となる。

たしかに身につまされるものはある。「わかる〜〜〜」と本をとじ、空をみあげて息を吐かねば読み進められない、という具合の瞬間がいくつもあった。けれども、それらはほとんど、たいがいの大学生には共有されるような病理だった。僕がなにか、高野悦子と似ているだとか、そんなことを感想する気にはどうしても成れないのである。

だいたい思想が違う。僕は自分がプチブルであるのを受け入れたリベラリストだ。「改良主義者」だ。大学は解体するのではなく改良するところ。その手段は折衷、妥協、交換条件でお互いがお互いを納得させ将来の改良に小さな問題を持ち越すような政治的手腕、それによる、確実な社会の前進への呼応。もっとも、当時のように制度の瓦解の著しいときには、僕のような甘っちょろいことを言う人間はもう自民党から出馬するしかないみたいな嫌な世界なのかもしれないけど。

ただ、高野悦子という人物には惹かれた。僕は結局こういう「物語」の人物が好きだ。

これは僕が直近に書いた小説(はれて「20歳になる以前に最後に書いた小説」になりました!)の一部にある記述なのだが、僕のような人間は、ああいうものにどうしても憧れるし、もし身近にいたらきっと献身したくなってしまっていたと思う。

 これほどまでにアイの心を絡めとってしまう、イトの魅力とは何だったか。それは決して、アロマンティシズムに富んだパーソナルな議論に終始しない。

 実態なき使命感をもっていて、人生を価値ある物語だと考える。自己中心的で自己実現的で、だからこそ、自棄的。自分を俯瞰するくせに客観性に乏しい。物質的に満たされていようがいまいが変わらない。そういうどこか乾いた根性の人間というのは時代も星も問わずありふれている。そして、自棄をして全てを捧げるに値する何か、誰かを求めている。

 だから演出に弱い。「自分より上位の物語」に弱い。

紀政諮「地球の子」

「名探偵コナン」ばかりを観てきた幼少期なのだけどね、だから僕はさあ、愛する何かのために死にたいんだよね。

そんなことを言って、恒心館で一緒にチャミスルでも飲みたい。僕はもう20になったのである。

では、19の僕はどうだった?

さあてさてさて、この1年間をようやく客観的にみつめられるよ。まあ、客観的なんてことはないけど、客観的っていうことにしよう。

自民党の国会議員の地元事務所でインターンして、学生劇団ででっかい舞台にあがって、自分のサークルをたちあげて、小説を書いて、動画をつくって、会誌を刷って、政治家からライターの仕事をもらって、たくさん授業を休んで(お前やっぱ高野悦子じゃねえか)、小説を書いて、会誌を刷って、社会人劇団ででっかい舞台にあがって、カンザキイオリの誕生日を祝って(小説・朗読・歌・企画運営)、選挙運動をして、社会科学系サークルでめっちゃ調整役をする羽目になって、文芸系サークルに営業しまくって新歓を成功させて、学部自治会に顔を出すようになって、学生劇団で女装して、仕事もらってた政治家の先生が宝塚でトップ当選して(すごすぎ)、自主ゼミを立ち上げて、自治会で学祭の会計とかをやって、自分のサークルをぶん回して、小説を書いて、刷った。

1年間でやれることはやったんじゃね〜〜〜〜〜???

去年の6月に一念発起(そんなにいいものではない)してから割と(そんな前置きをするのは要は恥ずかしいからなのである)我武者羅にやってきたような気がする。ん〜〜〜そんなんだからこの記事の冒頭みたいな精神状態になっちゃうんだよ〜〜〜もう! そう書いていられるうちは健康です、僕は円町でJRに飛び込んだりはしません。でもそれをダメと言うんじゃないんだよ。

はい。

怒涛の1年間を過ごして今、反省しているのは、生き急いできたこと。

別に僕は早死にする気なんかない。なんなら永遠に生きるつもり。だから、やりたいことはいつでもやれる。けれども「この年齢のうちに、この回生のうちに、僕はこれをやらなきゃいけないんだ」という考えに突き動かされていて、気づけばそれ以外に時間を使えていなかった(これは微妙に嘘。アニメとかはみてた)(けれども誰かに頼ったりだとか、頼れるような人間関係を構築するとか、そういうことにリソースを使えなかったのである)。

僕にはこういう人生の節目のたびに和歌を読む習慣がある。そこで先ほど、日付が変わる前に詠んだのがこれだ。

はたとせに
わたるこのよのあつきかな
この淀川に蝉は死にけり

紀政諮 辞代の句 19歳の終わりに際して

お通夜かよ。

(最近呪術廻戦にハマってます。「0」観ました)

わざわざひらがなであるのには意味がある。解釈の本人説明ほどダサいものはないと思うので(あともう眠いので)(寝たい)(このあと動画編集もしなきゃなんですけど!?)、詳しくは書きたくないが、要はもうなんか、めっちゃ忙しかったねってことを言っている。

自ずと20歳の抱負は「そこそこに休む」ことだ。

それには胆力が要る。「休息の成功体験」を積む必要もある。人に頼る訓練も必要だ。それができないと、きっと僕はああやって睡眠薬を何錠ものむことになってしまうんだろう。ふつうに嫌だ。死にたくない。

なにが怖いってさあ。これは「二十歳の原点」の解釈の話になるんですけどね?

高野悦子は日記の中で、何度も、死ぬのは敗北だ、死ぬのは卑怯だ、私は死なない、だのというじゃない。けど、最後にはまるで衣笠を滑りおちる偽物の粉雪のように死んでしまう。この矛盾をどう理解する。

きっと高野悦子はこの日記に「ほんとうの本心」は書いていないんだ。日記を書くということは自身の吐露であるのと同時に自身との対話で、きっと彼女は「死にたい」と書きそうになるたびに「死にたいと書いてはダメだ」と自身に語りかけて「死ぬつもりはない」と嘘を書いたと思う。その日記がほんとうにSomeoneに読まれることになるなどとは夢にもみずに。

僕はそれになるのが怖い。封じ込め続けた挙句、お薬かなにかによってくずれた理性・思想の檻から「本心」という怪物がとびだして、僕を噛み殺してしまうのが怖い。その牙のきらめき、急ブレーキの音、頭蓋骨に空気が染みこむ触感に、運転手の目が最期の景色。人は簡単に虎になる。コンクリートジャングルにはそういう雨が降っている。

生きたければ、なだめ続ける他にないのだ。

えっと、ろくに構想を練らずに書いてるから次になにを書けばいいか忘れちゃったんだけど。

ああ、そう。

維新と万博と僕。

僕が先ほどいった、政治家からもらったライターのお仕事とは、選挙活動に使う政策チラシの編集担当者としてのものである。

ちょっと許可をとっておくのを忘れてしまったのでお名前は伏せるが、教育分野に並々ならぬ熱意を持つ方で、思想も僕とたいがい近く、話が合って、僕の初めてのライターとしての「お仕事」をいただくに至った。

結果、先の統一地方選挙では他と圧倒的な票差をつけて(他の候補者の方々を毀損したいわけではない)(みなさん素晴らしい政治家だと思う)(宝塚市は今回女性議員が男性議員を上回った稀有な自治体である。単純に女性が多ければ多い方がいいなどとは言わないが、類まれな質と努力をされた先人たちのいらっしゃる土地である)、見事トップ当選を果たされた。

それが、維新の会からの公認候補としてなのである。

また、これも先ほど私は自主ゼミを立ち上げたと言ったが(これは近々おもしろい発表をすることになる)、これがまあSDGsとかそういうのにめちゃくちゃ貢献するもので、すると先日、立命館大学の「万博委員会」さんのキックオフイベントにゲストスピーカーとしてお呼ばれしてしまった。行ってきた。義務と常識によってそれ以上細かいことは言えないが、みなさん雰囲気がよく、キックオフとして遜色ないものに映った。立命館大学は大阪expo2025を応援している。

そして一昨日、僕は、万博と維新の会をこてんぱんに皮肉る芝居を観てきた。

あのね??? あのね???

めっっっっっっっちゃくちゃおもしろかったの!!!

この記事の公開後、東京公演をやられる予定のようだ。どうせこの記事の読者、みんな関東勢でしょ。うらやましいな。ぜひ観てきてほしい。

はい。

維新の会と万博イベント、それに伴うIR事業だとか、そういうのに対するスタンスをいい加減にしっかり定めなきゃいけないのかもなあ。そんな気がしている。

僕は「うまくやれている」のだろうか?

この1年、僕は、あたかもアクティビストだった。我が道をいくような格好をして、いろんなところに顔を出し、自らの目的を達成するためにかなり人並外れたことをやってきたつもりではある。

先人を見ると、例の政治家の先生がいる。彼は抱いた強い問題意識と使命感のままに、起業をしたり(それで支持を得て採算がとれているからもうすごい)、無所属でも出馬をしたり、当選後も確実にご自身の目的に準じるような活動に精を出されている。そして、別に自分の思想に妥協をしているわけでもさらさらないのである。ああいうことができる人はすごい。

身内によく「起業しなよ」と言われる。確かに、僕が作ってきたサークルや企画には、ほとんどもはや学生のサークルというよりはNPO法人とか企業とかそういうのの空気感がある。きっと、作るところまではやれる。では採算は? 持続可能性は? 今までゆりかごの中から偽りの大海でバタ足をきめこんでアキレス腱の強さだけを誇ってきた僕が、本当に突き落とされたときに1、2の3でエラ呼吸などできるものか、それが問題だ。

政治思想。人生設計。そして創作への向き合い方。

やるだけやっちまった1年の終わる今、ほんとうに問われている。

私自身の受けるもの、あせり、いらだち、虚無感(デモ最中の)、ますます広がる混沌さ。論理化を! 論理化を!

高野悦子 5月30日

私のこの感性を論理化し、さらなる感性を創造せよ!

高野悦子 5月27日

ああ、なんだ、そうじゃん。奇遇だな。まあ、みんなそうだろうけど。

「独りであること」、「未熟であること」、これが私の20歳の原点である。

高野悦子 1月15日 北風の強い気持よい青空の日

それからどうしたい。

というと、実はけっこうすでに決まっている。

たとえば卒論にかけての研究のテーマは分野が既に絞られている。
「大政党における党内民主主義のありかた」
である。

先ほど述べたようなジレンマの中に身を置かなければありえなかった考えである。思えば、僕は政治的にかなり面白い立ち回りをしている人間かもしれない。リベラリストで「二十歳の原点」に心を動かされ改革を志向し、けれどもインターンには自民党の国会議員の地元事務所(奈良県の大和西大寺なんですよ! その話もいつかしたいね)で、応援した先生は維新の会。万博利権に学園生活をあやかろうとし、ところが、万博をこてんぱんにする芝居に大笑いする(あれはまあクオリティが高すぎるのがいけないんだけど)。そういうのを人は「浅い」というのかもしれない。それをねじ伏せられるだけの知見と成果と実力がほしい。

ほかにも決まっていることはいくつかある。めっちゃくちゃエモいキャラシができたので、サークルから告知していたTRPG企画ではすげえことができそう。乞うご期待。次の小説の予定も実はもう立ってる。今月締め切り。やばい。実は今日、歌ってみた動画を2本上げる。これからは、自分の声を本格的に武器にしていきたい。

「物書き」としてのスタンスも、けっこう固まってきた。

19歳の1年間で、僕が得たものは2つだ。
「成長すること」、
「実績があること」、

そして僕が得た認識も2つだ。
「自分は“成長する”のが得意なこと」、
「実績には胸をはっていいということ」、

調子に乗りすぎると失敗するし、がんばりすぎるとぶっつぶれる。

けれども、がむしゃらに、ひたむきに、僕はこの1年間を走りきった。

過去から逃げて走ったんじゃない。未来に向かって走っていた。

「そんな19歳の僕が」、
「僕は好きだということ」、

これが僕の19歳の終点である。

カフェから帰ってきて、自主ゼミのセッションを終えて、自治会の作業も済ませて、服を着替え、屋上に登った。

綺麗な月だった。小雨にベンチがほどけて、なつかしいにおいがした。

いざ、時刻は0時をまわる。僕はスマホを手放して、ひとりで立って、ちょっと歌ったりなんかして、その時を待っていた。

風が吹いている。

選択した。

僕は、まだまだ生きる。

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